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ある博士の夢

サージェイドという存在に関わった人のお話。


 ある日、それは唐突に姿を現した。
 陸地から離れた海の沖にそびえ立つ、巨大な花のような物体。真っ直ぐに伸びた茎のような部分は海上から700メートル以上の高さもあり、頂上には水蓮に似た形状をしている。形こそ蓮田に咲く水蓮を思わせるが、水晶のように白みがかった透明の中身は満天に星が輝く宇宙が見えていた。
 世界中の科学者が花のような物体に興味を持ち調査に当たったが、何の結果も出せなかった。異常なまでに硬質で何をしても傷ひとつ付かないため、サンプルの採取ができず物質の解析ができなかった。
 世界各国のメディアは謎の花の話題で持ち切りになり、ある国ではエイリアンの侵略だと恐れ、ある国では新たなエネルギー資源になるのではないかと期待を寄せている。
「谷田部博士、あの花は一体何でしょう?」
 助手の笹原は隣に立つ白衣の男に声をかける。しかし谷田部は研究室のモニターに映る花のような物体を凝視したままだった。その瞳の奥には、覚悟を決めた強い意志が宿っていた。
「ついに来たか…」
「え? 何です?」
 谷田部の小さなつぶやきを聞き逃した笹原は首を傾げた。
 
 ヘリコプターの中で谷田部は目を閉じて考え込んでいた。隣の席に座っている笹原は落ち着かない様子で谷田部と窓の外を交互に見る。ヘリコプターは花のような物体へと向かっていた。
「谷田部博士は、あの花をご存じなんですか?」
 沈黙に耐えられなくなった笹原は遠慮がちに谷田部に声をかける。すると谷田部は薄目を開けた。
「笹原くん。君は多元宇宙論や並行宇宙を信じているかい?」
「へ?」
 問いを問いで返され、笹原は間抜けな声を出す。
「あ…いえ、僕は宇宙分野はあまり…。でも僕は、とても巨大な宇宙がひとつだけ存在していると思っています」
「そうだ。我々が観測できて認識できる宇宙は、ひとつだけなんだ。だからひとつしか存在しないという考えは正しい。しかし宇宙は複数存在する。通常では認識できない宇宙が多数に、だ。…その宇宙の総数を計ることはできないが、全ての宇宙を集約しようとしている存在が有る」
「谷田部博士…?」
 突然の話に訳が分からず、笹原は谷田部の様子を伺うように見上げる。谷田部の話は止まらなかった。
「宇宙が集約したらどうなるのか。複数ある宇宙が重なって存在するようになるのか、或いは超過密となって存在崩壊するのか、再びビッグバンが起きて宇宙創成が始まるのか…。どうであれ、人類がそれに耐えられるはずがない」
「は、はぁ…」
 谷田部の話に、笹原は意味が分からないまま頷いた。今まで谷田部がこんなに宇宙について話すことが無かったし、宇宙分野が得意ではない笹原にとって谷田部の話は途方もない内容に思えた。
 やがてヘリコプターは花のような物体へ近づき、谷田部と笹原は直径300メートルほどの水蓮のような部分へ降り立った。谷田部は操縦士に少し離れた上空で待機するように命じた。
「うわぁ、すごい…。宇宙の上に立ってるみたいだ。絶景ですね」
 笹原は足元に広がる宇宙空間のような景色に感嘆の溜め息を漏らす。しかし谷田部は花の中心部分に当たる雌しべに似た部分を見詰めていた。
「この際だから…君に全てを話そう。笹原くんは、正夢や予知夢の類いは信じているかい?」
 谷田部はゆっくりと笹原へ顔を向ける。
「今度は夢の話ですか? 僕はそういったオカルトやスピリチュアルなんかは信憑性が欠けるので信じていません。でも物理科学は信じられる。だから僕はいろいろな発明や発見をして世界に貢献してきた谷田部博士に憧れて、ずっとついてきたんです」
「…そうか」
 谷田部はゆっくりと頷いて、少しだけ顔を伏せた。
「私は…世界的な発明や新発見をしてきたわけじゃないんだ。知っていたことを公表しただけなんだよ。君の気持ちを裏切ってしまうようで、本当に申し訳ない」
「え? …どういう意味ですか?」
「私は、別の宇宙の地球に住んでいる。そしてこの地球は、私にとって夢の世界なんだ」
「あの…さっきから、何を言っているんですか? 谷田部博士は冗談は好きではないと思ってましたが…」
「信じてもらえないだろうが、私は夢を通じて並行宇宙…いわゆるパラレルワールドを行き来している。私はこの能力で今までいくつかの地球の最期を見てきた。本当の私は延命処置を受けている386歳で、自分では指一本も動かせない。この体もこの夢の世界だけのものだ」
「すみません、谷田部博士。話が理解できないのですが…」
 笹原は谷田部の突拍子もない話に混乱し、怪訝な表情を浮かべる。けれど、谷田部の表情は訴えかけるような真剣そのものだった。
「この巨大な花のような物体は、宇宙を集約しようとしている存在だ。私の現実世界では“星喰らう化け物”と呼んでいる。形こそ様々だったが、私はこれを何度も見た。そして地球の最期も。私の現実世界の地球ではこの“星喰らう化け物”を危険視していて、世界各国が宇宙集約を止めようと必死になっている。いずれ、私の現実世界の地球にも“星喰らう化け物”現れる可能性があるからだ。私の現実世界の地球は、この地球よりももう少し文明が進んでいる。だが、夢の中のものを現実世界に持ち出すことはできないし、その逆もできない。私の現実世界でどんな強力な兵器を開発しても、どうすることもできない…。本当にすまない。私の本当の役目は、少しでも多くの“星喰らう化け物”の情報を得ることなんだ」
 谷田部は花の中心に向かって歩き始めた。理解できないままの笹原が後を追う。
 花の雌しべのような部分がぐにゃりと動いて白一色に染まる。見る見るうちに形を変え、長い尻尾を有した人型の形をとった。金色の2本の角と青色の長い髪を生やした真っ白な肌の子供の姿になり、あどけない表情を浮かべ谷田部と笹原を見る。
 その光景に口を開けて硬直する笹原と、知っていたかのように冷静な谷田部。
「久しぶりだな」
 と、谷田部は真っ白な子供に向かって言った。少しでも時間稼ぎをする算段だった。
 真っ白な子供は長い尾をゆっくりと振りながら、警戒心の無い様子でこちらを伺っている。
「君が宇宙をひとつにしようとしていることは知っている。…交渉に応じてくれないか」
 しかし真っ白な子供は、背中にコウモリの骨格だけのような翼を生やして大きく広げると首を横に振った。
「交渉に応じる気は無い…か。何故、宇宙の集約をしている? 集約された宇宙はどうなる?」
 谷田部の問いに、真っ白な子供は両手を胸の前へ重ねた。それはまるで誰にも言えない秘密の事であることを表しているように見えて、谷田部は「そうか」と呟いた。
 ぽつりぽつりと、周辺に光の粒子が漂い始める。それがこの世界の最期の始まりであると知っている谷田部は、唇を強く噛みしめた。時間稼ぎは失敗したようだった。
 別の並行宇宙でどんなに強力な兵器を用いても“星喰らう化け物”に傷ひとつ付けるどころか、兵器や機械自体が攻撃を拒むように作動しなくなる。その事を知っている谷田部は弾かれた様に走り出し、白衣のポケットに入れておいたナイフを握りしめて真っ白な子供に向かって突き立てる。何としてでも“星喰らう化け物”を止めなければいけなかった。この化け物に殺されてしまうかもしれないが、それでもこの体は夢の中のものだ。死ねば現実世界に戻るだけでしかない。だからどんな無謀にも恐怖は無かった。
 しかしナイフは真っ白な子供の肌に刺さる直前で色とりどりの花びらへ変化し、はらりはらりと散り落ちた。力の入った谷田部の手は数枚の花びらを握りしめるだけとなる。
 がくりと、膝をつく谷田部。どうあってもこの存在を阻止することが不可能であると知り、絶望する。頭の中はもう何も考えられなかった。
「谷田部博士!」
 笹原の声が遠くに感じた。
 真っ白な子供は穏やかな表情のまま谷田部に顔を寄せて、何かの言葉を囁いた。それは人間や動物が発するような声ではなく、鉄琴や弦楽器を組み合わせたような音に近かった。
 谷田部が恐る恐る顔を上げて真っ白な子供を見上げると、視界が歪んだ。世界の全てが光に包まれ一点に集まろうとする。目が回るような光景に意識が遠退く。
 痛みも苦しみも無く、何かの感情を覚える隙間すらない、何度目かの最期。
 
 
 
 気が付けば、見慣れた部屋にいた。
 生命維持装置のカプセルの中から分厚いガラス越しにいくつもの機械やモニターが見える。そのモニターのひとつに、谷田部が見てきた光景が映されている。
「…駄目だった…」
 殆ど声にならない掠れた声で、谷田部は呟いた。その声は誰にも届かない。
 悪夢から覚めた現実世界。骨と皮だけの体は指一本動かせず、内臓の大半もとっくに人工の物になっている。けれど、脳だけは精密な機器に包まれて若々しく保たれていた。
「谷田部さん、お疲れ様です」
 生命維持装置カプセルに内臓されているスピーカーから声がする。
「今回の件で“星喰らう化け物”に物理的な攻撃は一切効かないことが判明しました。また、人語を理解している様子が伺えました。そして大変貴重な音声を得られましたよ。さっそく解析が始まっています。…それでは、次の夢に備えてください」
 地球最期の悪夢はこれからも続く。次の夢の中の地球がどんな世界になっているのかは分からない。たった十数分だけの“星喰らう化け物”との対面のために、また生まれた瞬間からの人生を歩む夢を見なければいけない。
 谷田部は目を閉じて睡眠導入剤が投与されるのを待った。
 心の片隅で思うことがある。いつ終わるのか分からない“星喰らう化け物”の阻止を目的として生かされ続けているこの現実の方が、悪夢なのではないか…と。
 
 
 
 
 
終わる

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