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疑懼

ボスと仲良くしたい部下と、部下を全く信用してないボス。


 夜は、世界が鮮明に見える。月明かりが弱いのなら、尚の事。
 空気の流れすら感じるくらい過敏になる神経は、視界に入らない世界すら、手に取るように分かる。
 Ⅸ籠はこの感覚が、好きだった。眩しくて見え難い昼間と違って、闇夜は透き通るように明確な世界だった。
 崩れた建物が撒き散らした砂埃と、充満した血の匂いが残る。怒声も罵声も、断末魔の悲鳴に変わって騒がしかった世界はもう無い。
 微かな金属音を鳴らせて刀を鞘へ納めると、Ⅸ籠は短く息を吐いた。
 血溜まりを踏みつけて、数メートル先で横たわっている死体に近づく。死体を貫いて大地に刺さった巨大な手裏剣を片手で引き抜いた。ぐちり、と肉を擦って抜ける様に、何の感慨も無い。
 みんな脆い。首を掴めば死ぬ。腹を切り裂けば死ぬ。頭を潰せば死ぬ。こんなにも簡単に。
 殺す事に対して何も思わないけれど、戦いが終わると何とも言葉に表現できない、もやもやとした気持ちになる。この気持ちの名称が分かれば、どれほど楽になれるだろうか。戦っている最中は、時々意識が無くなったり力の制御が出来なくなったりなどがあるけれど、こんな煩わしい気持ちになるよりはずっとマシだった。
「クロウはすげぇ強いなぁ」
「ボス、お怪我ありませんか?」
 鎖と刺斬が寄って来た。返り血のせいで分かりづらかったが、2人に大した怪我は無さそうだった。
 Ⅸ籠は、2人の笑顔に居心地が悪くなって、軽く頷いてから目を逸らす。
 この2人の笑顔は、他の隊員たちが良く見せる引きつったような媚びへつらう笑顔とは違う。ずっと遠い昔に、こういう種類の笑顔の向けてくれていた人が居たような感覚がある。とても近しい、自分のすぐ傍に居た存在…そんな気がするけど、思い出せない。思い出そうとすると、酷い頭痛がする。
 思い出せないという事は、自分にとって重要な存在ではないのだろうと言い聞かせながらも、鎖や刺斬に笑顔を向けられるたびに、ふと気にしてしまう。
 だから、気持ち悪い。頭痛を引き起こすこの種類の笑顔は、とても気持ちが悪くて堪らない。
 
 …殺しちゃえ。
 
 手裏剣を握る手に力が入る。振り上げて投げれば、この2人の首が飛ぶのは容易なはず。2人の反応速度、避ける方向、受け身を取るか否か、全て考慮した上で、投げる向きと力加減を計る。
 狙いが定まった、その時。
「あ~、腹減ったぁ~」
 鎖が間の抜けた声を出しながら伸びをした。
 その声にⅨ籠は我に返った。力の抜けた手から手裏剣が離れて、刃先が大地に突き刺さる。今、自分は何をしようとしてた?
 微かに寒気がして、Ⅸ籠は肩を竦めた。
「戻ったら、すぐ何か作るっスよ」
 刺斬が鎖に向かって返事をする。
「チーズリゾット食いてぇ」
「それ、昨日食べたじゃないスか」
「いいじゃねぇか。作ってくれよ~」
 鎖が刺斬の肩をぽんぽんと叩く。
「では、作りましょうかね」
「やった!」
 弾む談笑。低くてもやわらかい声と、戦闘中の気概ある表情とは全く違う穏やかな表情。
 そんな2人の様子を見て、Ⅸ籠は目を細めた。この2人はすごく仲がいい。2人のやりとりは見ていて気分がいいから、嫌いじゃない。
「ボスも、ご一緒にいかがです? お腹空きましたでしょう?」
 ふいに、刺斬が目を合わせてきて、Ⅸ籠は反射的に目を逸らした。
 怖い。
「…いらない。薬、あるから」
「遠慮すんなって。薬より刺斬の料理の方が美味いじゃねぇか」
 鎖もこちらに顔を向けてきた。
 Ⅸ籠は顔を合わせないまま、ゆっくりと半歩退いた。
 遠慮なんかじゃない。構われたくない。
 どうしてこの2人は何かと気にかけてくるのか。全く意図が分からない。何が目的なんだろう。この息苦しい恐怖を与えてくる2人が、心底怖くて仕方が無い。
 
 …殺セ。
 
 同じくらいの身長である2人の首を同時に切り落とすのは難しい事じゃない。咄嗟であれば刺斬は鞘で、鎖は腕で首を守ろうとするから、それを考慮した上での力加減にすればいいだけ。間合いを詰めて刹那の一閃、避ける隙なんて絶対与えない。
「ボスは、チーズリゾット嫌いですか?」
 刀の柄に指先が触れたと同時に刺斬に声をかけられて、Ⅸ籠はぴくりと手を止めた。今、何を考えていたんだっけ?
 Ⅸ籠は刺斬の言葉を頭の中で反芻する。熱くてドロドロとした食べ物を思い出した。好きなのか分からないけど、嫌いでもない。
「…嫌いじゃないけど…」
 刺斬の問いかけに返事をすると、刺斬は目を細めて微笑んだ。
「なら、よかったです。一緒に食べてくれると、嬉しいです」
「……」
 Ⅸ籠は首が絞まるような気がして、息がつかえた。ここまで言われて断ったら怒るだろうか。
「…じゃあ、食べてやる…」
 震えそうな声を抑えて、できるだけ平静に声を出す。弱みを見せてつけ込まれでもしたら、もう我慢できる気がしない。
「いぇーい!」
 承諾するとほぼ同時に、鎖と刺斬はお互いに声合わせてハイタッチをした。
 何がそんなに嬉しいのか全く理解できないが、要求を受け入れて好きにさせれば、この2人は喜んでくれる。誰かに喜んでもらう事に、悪い気はしない。
 でも、気が重い。これから戻って、この2人と同じ部屋で食事をするのに、どれほど神経を擦り減らすのかと思うと、気がおかしくなりそうだった。
 頭が痛い。気持ち悪い。怖い。こんな事なら、休む暇無く戦ってたほうがずっと気が楽だ。誰でもいいからずっと殺していたい。
 今日も、たくさん薬を飲まないと眠れないだろうなと考えながら、Ⅸ籠は2人に気付かれないように溜め息をした。
 
 …殺していいよ。
 
 日常会話をしながら帰路に着く2人の後姿を眺めて、手に力が入る。
 無防備な2つの頭を叩き潰すくらい、今すぐできる。
 だって、みんな脆い。簡単に死ぬんだから。
 
 …あれ? この2人は殺したらダメなんだっけ?
 
 
 
 
 
終わる

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