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籠ノ鴉-カゴノトリ- 4

刺斬とⅨ籠の話。


 毒砂を運ぶ乾いた風が吹く。
 淀んだ大気の空に浮かぶ月は、頼りない輪郭で夜の世界を薄く照らしていた。
 崩れたビルが並ぶ死んだ街。かつては文明が発展していた場所であったことを誇示するように、そこかしこに用途不明な機械が散乱している。
「わざわざボスが出るまでもないでしょうに」
 刺斬は、少し前を走るⅨ籠に声をかけた。
「上からの命令だ。眠れなかったからちょうどいい」
「そうですか」
 Ⅸ籠が睡眠薬に頼らないと眠れない事を知っている刺斬は、それ以上は何も言わなかった。
 ひび割れたアスファルトに散らばるコンクリートの瓦礫を飛び越え、周囲の気配を探りながらターゲットを追う。
 クローン3体が、組織から逃げ出した。どれも部隊長候補として育成中のクローンだ。手に余る相手だからと、Ⅸ籠が呼び出された。どんな内容でも上層部からの命令となれば、Ⅸ籠は従順だった。
 Ⅸ籠ひとりではどうしても心配だった刺斬は、Ⅸ籠に同行を申し出た。心配だからという理由ではⅨ籠が怒るのは分かっていたので、戦うところを見学したいという幼稚な理由を付けた。Ⅸ籠は少し厭そうな顔をしたが、了承してくれた。
「夜中に逃げ出すなんて、バカだな」
 Ⅸ籠がくくくと笑った。捕食を確信した、獣のような顔で。
「相手さん、ボスが出向くとは思ってないでしょうからね」
 刺斬は薄く笑いながら、返事をした。夜に行動するのは正しい判断だが、Ⅸ籠にとって光の少ない夜は有利でしかない。
 大きな瓦礫の山を越えた所で、Ⅸ籠は急に足を止めた。
「止まれ…」
「…っと」
 刺斬は急に止まった反動で倒れそうになった身体を、半歩踏み出して踏ん張って耐えた。Ⅸ籠がターゲットを発見した事を察して、その場に身を屈める。
 すぐ隣で立つⅨ籠は、一点を見つめていた。鎖のような美しい月色ではなく、攻撃的な鋭い獣のように金色に輝く瞳。それは、狙ったものは絶対に逃さない、残酷で完璧な狩りを彷彿させる。
 刺斬は、Ⅸ籠が見る視線の先にある廃ビルの陰に目を凝らしたが、暗闇に慣れた目でも何も見えなかった。暗い方がよく見えるというⅨ籠の目には、相手がはっきり見えているのかもしれない。
「すんません、自分には見えません」
「お前は出る予定じゃなかったんだから、何もしなくていい」
 そう言い残して、Ⅸ籠は歩き始めた。音も立てず気配も感じさせない、完全に闇に溶け込んだ様は、地に足が着いてるのを疑うほどのものだった。
 刺斬はⅨ籠の邪魔にならないように十分距離をおいてから、後を追った。上層部からどういう命令を受けているのか分からないが、狙撃しない事を考えると、捕らえる事が目的なのだろうか。
 ほどなくしてから叫び声が聞こえた。何かのぶつかる音とビルのコンクリート壁が崩れる音、ターゲットが逃げる際に持ち出したと思われる銃の銃声が数発。
 一方的な戦いだった。3対1であっても、Ⅸ籠に攻撃が掠る事すらなかった。
 Ⅸ籠の近くへ寄ると、ひとりはすでに血だらけで倒れていた。
 残りの2人は壁の角に追い詰められていた。すっかり戦意喪失したらしく、しゃがみ込んで寄り合いながら怯えている。よく見れば、まだ若い青年だった。
「Ⅸ籠さま、許してください…」
 片方の子が、怯え縋る目をⅨ籠に向けて声を出した。
 Ⅸ籠は首を傾げる。
「許すかどうか決めるのは、オレじゃない。お前たちの事は、生きたままでも殺してもいいって言われてる。オレはどっちでもいい。お前たちが決めていいぞ」
 淡々とした口調で、Ⅸ籠が答えた。その後で、今度はゆっくりと少し低い声で言う。
「でも、一度裏切ったら、前と同じ扱いはされないからな? …分かるだろう?」
 その言葉は、この場に居ない、遠い誰かに対して言っているようにも思えた。
 許しを願った方の子が、地面に頭をつけるように土下座をする。
「お願いです、どうか弟だけは見逃してください」
「…へぇ…」
 びくりと、Ⅸ籠の身体が動いたのが見えた。
 それを境に、刺斬は何かが変わったのを感じた。
「…あはは! お前たち、兄弟なのか」
 笑い声を上げてⅨ籠の様子が一転した。先ほどまでの静かな態度ではなく、興奮したように落ち着き無く身体を揺らす。
 刹那。弟であろう片方の子が悲鳴を上げた。下腿に深々とクナイが刺さっている。Ⅸ籠がクナイを投げた瞬間が全く見えなかった。
 痛みに苦しむ弟を見て、青ざめた顔で抱き寄せる兄。それをじっと興味津々に、Ⅸ籠は見ていた。
「ボス…」
 不穏な空気を感じて、刺斬はⅨ籠にそっと声をかける。Ⅸ籠は何の気色も無く、見上げてきた。いつもの顔付きと違う。
「お前は、さぎり…だったな」
「?」
 Ⅸ籠の言葉に、刺斬は奇妙な引っかかりを感じた。Ⅸ籠は兄弟の方に目線を戻して、まじまじと様子を見る。怒りや哀れみといった感情は一切無く、ただただ観察するという目だった。
「ボス、…どうしました?」
「うん? Ⅸ籠がどうしたって?」
 視線はそのままに、Ⅸ籠が返事をした。
「いえ…」
 刺斬は言葉に詰まった。どう言えばいいのか。明らかに何かが違うのは分かるのだけど、それが何であるのか言葉に表せなかった。
 辺りには、痛みで呻き声を出す弟と、その弟の手当てをする兄の必死な励ましの声が響く。
「その脚では走れない。逃げないの? 弟を捨てて」
「そんな事…できない…」
「ふぅん…」
 涙目で答える兄を見て、Ⅸ籠が不思議そうに頷いた。
「おかしいなぁ…。弟が動けないなら、置いて逃げると思うけど? あ、それとも、逃げようとしたら殺されると思った? そうでしょ? そうだよね? 間違ってないんだけどさ、あははっ!」
 空を切る音。
 消えた呻き声。
 Ⅸ籠の含み笑い。
「ほら、逃げないの? …君の弟、死んだよ?」
 刀を鞘へ納めて、Ⅸ籠が言った。
 鈍い転がる音。その正体が首だと知った逃亡者の兄は絶叫した。
「よくも…よくも、殺したな…!」
「どうして怒るんだ?」
「怒らないヤツなんているか!」
 逃亡者の兄は持っていたナイフをⅨ籠へ放った。
 Ⅸ籠は小さな虫を払うように、投げつけられたナイフを払い落とす。
「そうなの? 怒る事なのか?」
 Ⅸ籠の言動を見ていた刺斬は、顔を引きつらせた。なんだこれは。Ⅸ籠は一体何を考えてるんだ。最初の時と態度が全然違う。
「兄さんは、どうしてⅨ籠を置いて行ったんだ? Ⅸ籠を殺せば、兄さんは怒るのか? でも兄さんは殺さなきゃいけないから、Ⅸ籠を先に殺すのは…」
 腕を組んで考え込み、ぶつぶつと独り言を言い始めるⅨ籠。
 耐えられなくなった刺斬はⅨ籠の腕を掴んで、こちらに振り向かせた。
「あんた、誰だ」
 不意に口を衝いた疑問。でも、それが一番知りたかった事だった。明らかにいつものⅨ籠じゃない。
「どうしたの? 前に会いに来たのに、僕の事忘れたの?」
 ぽかんとした表情で、Ⅸ籠が目を瞬いた。
「僕は…『Ⅴ番目』だよ」
 その言葉に寒気がした。
 刺斬は、無意識にⅨ籠を掴む手から力が抜けた。
 そんなの有り得ない。目の前に居るのは、間違いなくⅨ籠のはず。けれど、いつもより少し低い声、似てはいるが別人のような顔付き。そして今、『5番目』と答えた。これでは、まるで…。いや、悪い冗談だろう。そうとしか思えない。
 Ⅸ籠は呆然と立ち尽くす刺斬の横を通り過ぎて、弟の死体に泣きつく兄の方へ近寄ると、しゃがんで顔を近づけた。
「もう飽きた。君、本当はコイツの兄さんじゃないよね? そうでなきゃ、おかしいでしょ? ねえ?」
 答えを求めるような物言いの後、Ⅸ籠が何かを囁いたが、刺斬には聞こえなかった。
 
 
 
 弱々しい月明かりの下、眠たそうに目を擦りながら隣を歩くⅨ籠に、刺斬はゆっくりと声をかける。
「ボス、お迎え呼びましょうか」
「いらない」
 突っ撥ねるような短い返事。いつものⅨ籠の声。他人の温度を寄せ付けない変に強がりな所も、いつも通り。それに少し安心した。眠りこけて倒れたら、担いで帰るつもりだから構わない。
 廃ビルの陰にⅨ籠が殺した死体を3つ残して、眠気で歩みの遅いⅨ籠を気遣いながら、基地へと向かっていた。
 Ⅸ籠が言った通り、生きたまま連れ戻した所で以前と同じ扱いをされる事は無い。酷い人体実験の果てに処分される。それを思えば、あの3人にとってはマシな結果だ。兄弟には後味悪い最期だっただろうけれど。
 刺斬は先ほどの事を思い出していた。
 あの時のⅨ籠は何だったのか。異常なほど、兄という存在を気にしていたようだった。常日頃、部屋にいる失敗作の兄たちを気にしている事はあるが、その感じとは全く異なっていた。ターゲットを始末した後は、元のⅨ籠に戻って、眠たそうにし始めた。
「無粋な事を承知で、お聞きしてもいいですか?」
 意識が正常でない相手に質問するのは、本当はよくない事だと分かってはいる。それでも、聞かずにはいられなかった。正常な時では、絶対に答えてくれないだろう。
「ボスのお兄様たちは、赤ヘル…いえ、行方不明のお兄様を、どう思ってますか?」
 我ながら、変な質問だとは思う。Ⅸ籠の失敗作である兄たちは会話できる状態ではない。Ⅸ籠がその兄たちの気持ちを知っているはずはないのだから。
 それなのに。
「殺したい。好き。嫌い。会いたい。憎い。戻ってきて欲しい」
 ぽつりぽつりと、小さい声でⅨ籠は答えた。ちょうど、6つ。あの部屋の兄たちの人数分、迷い無く。
「ボスは、どう思ってます?」
「…裏切って逃げた事…絶対に許せない」
「そうですか…」
 刺斬は頷いた。これで、今までの事の辻褄が合う。
 いつだったか本で読んだことがある。こんな事なら流し読みするんじゃなかったと、刺斬は悔やんだ。
 急に別人のように怒り出すのも、以前に殺戮をして鎖を本気で殺そうとしたのも、先ほどの執拗に兄を気にしていた様子も、Ⅸ籠の別の人格。
 解離性同一性障害、いわゆる多重人格というやつだ。
 にわかには信じがたい事だが、別の人格はそれぞれⅨ籠の兄と思い込んで性格が独立しているのかもしれない。
 刺斬は目を細めた。こんな重大な疾患がある事を、上層部が知らないはずが無い。上層部がⅨ籠の処罰を変えたのもこれが理由だと確信した。
「っと…」
 刺斬は倒れそうになったⅨ籠を片手で押さえた。
 本当に世話が焼ける。同行して正解だった。ここに来る前に、相当な量の睡眠薬を飲んでいたようだったから無理も無いか。
 完全に力の抜けた小さな身体を肩に担いで、刺斬は深く息を吐いた。
「俺も鎖さんも、ボスの事は必ず守りますから。信じてくださいね」
 普段こんな事を言ったらきっと怒るだろうから。聞こえないことを承知で、自分の気持ちを言葉にした。
 
 
 
 
 
つづく

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