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命の挿花

アーミィとⅨ籠が一緒にいた昔話。アーミィが組織を裏切って逃亡した理由の妄想。


「兄ちゃん、ただいま」
「おかえり、Ⅸ籠」
 よく似た声、鏡でも見てるかのようにそっくりな姿の弟が、部屋に帰って来た。
 少し背が低くて、金色の瞳と、他の人が見分けやすいようにと左頬には黄色い刺青の線が入っている以外は、何もかも同じ。
 Ⅸ籠は文字通り血肉を分けた兄弟。弟として一緒に育てられたクローンだった。
「今日の訓練、教官に注意されちゃった…」
 Ⅸ籠の話を聞いて、僕は読んでいる本を閉じて机の端に置いた。
「どうして?」
「銃の使い方、なかなか覚えられなくて…」
 苦笑いを浮かべるⅨ籠。
 Ⅸ籠は少し、ほんの少しだけ、物覚えが遅い。いつも僕から2~3歩遅れて、ゆっくり時間をかけて覚える。
 その代わり感覚的な戦闘技術のセンスは抜群にいい。機械に頼らず、単純に斬る殴るといった戦闘の方が得意だった。
「Ⅸ籠は忍器の方が得意なんだから、そっちを伸ばすようにすればいいのにね」
「全ての重火器も扱えるようにしなさいって言うんだもん」
 口を尖らせて、Ⅸ籠はソファーに座って足をぶらぶらと揺らした。
「でも、いいんだ。オレも兄ちゃんみたいに、上手に使えるようになりたいし…」
 目を閉じて、自分に言い聞かせるようにⅨ籠が言った。
 僕はⅨ籠の隣に座って、Ⅸ籠の頭を撫でた。
「じゃあ、覚えるまで僕が教えてあげる」
「ほんと? ありがと!」
 明るい弾む声。自分と同じ声なのに、心地よい響きに感じる。
「兄ちゃん大好き!」
 Ⅸ籠が嬉しそうに抱き付いてきた。
 僕はそっとⅨ籠を抱き返して、背中を撫でた。
 
「それ、どうしたの?」
 ある日部屋に戻ると、Ⅸ籠がお菓子が詰まった大きな袋を持って待っていた。
「真っ赤な髪の人と、大きな刀持った人がくれた。ちょっと怖かったけど」
「ちゃんと、お礼は言ったの?」
「うん、言ったよ。そしたら頭撫でてくれた。兄ちゃん以外に頭撫でてくれたの、初めてかも」
 そう言って照れ笑いをするⅨ籠に、何だか心くすぐられた。
 Ⅸ籠はよく笑い、屈託の無い笑顔をする。
「一緒に食べよ」
 お菓子の袋を差し出すⅨ籠に、僕は笑って頷いた。
 Ⅸ籠といつも一緒にいて、笑顔を向け合い、笑い声を重ねる。
 毎日の日課のような、当たり前の日常。
 それを失ってしまう日が来るなんて、考えもしなかった。
 
 
「Ⅸ籠、空を見に行かない?」
 僕はソファーに寝そべって本を読んでいるⅨ籠に声をかけた。
「空?」
 Ⅸ籠が目を丸くする。
「今日は毒砂が少ないから、綺麗な空が見られるかも」
 いつも有毒な砂を含む風のせいで、綺麗な空が見られるのはすごく珍しい。
 きっとこんな日は滅多に無い。Ⅸ籠と一緒に見てみたかった。
「うん、見たい!」
 笑顔で答えるⅨ籠の手を取り、僕は屋上へ向かった。
 空に浮かぶ太陽は、Ⅸ籠の瞳に似た金色をしている。きっと、Ⅸ籠も見たら喜ぶはず。
 2人ではしゃぎながら、薄くホコリが積もった長い長い螺旋階段を駆け上がった。
 階段を登りきると、目の前には少し錆びが付いた小さな鉄の扉。鍵は掛かっていなかった。
 少し力を入れて扉を押すと、隙間から光が差す。
「すごい! 今日の空は青い!」
 僕は思わず大きな声を上げて、屋上へ飛び出した。
 広い広い、外の世界。
 久しぶりに見る空は、記憶にある薄黒い濁った色と全然違っていて、太陽は目に沁みるくらい輝かしい金色だった。
 なんて美しい世界だろう。Ⅸ籠と一緒に来て本当に良かった。
「Ⅸ籠もおいでよ」
 振り返ると、Ⅸ籠は階段で立ち止まったままだった。
 不安げな顔で目を細めて、じっと僕を見ている。
「大丈夫。何も怖くないよ」
 躊躇っているⅨ籠に声をかけた。
「…うん…」
 Ⅸ籠は、恐る恐る屋上へ踏み出した。
 外へ出て陽の光を受けると、Ⅸ籠は悲鳴を上げた。その場にうずくまって、両手で目を覆いながら泣き叫ぶ。
 突然の事態に、僕は身体が硬直した。心臓を抉られるような痛みを感じた。
 
 すぐにⅨ籠は医務室に搬送された。
「Ⅸ籠ごめん。ごめん…。僕、ひどい事した…」
 ベッドの上でうわ言のように痛い痛いと呟くⅨ籠の手を握って、ただただ謝る事しかできなかった。
 知らなかった。Ⅸ籠が光に弱い目をしていたなんて。僕と同じだと、ずっと思い込んでいた。
 Ⅸ籠はどうなってしまうんだろう。こんなに痛がっているのに、何も出来ない自分に腹が立った。
 大人たちが数人集まり、部屋に戻るように言われて、医務室を追い出された。
 罪悪感を引きずりながら、重い足取りで部屋に戻った。
 倒れるようにベッドにうつ伏せになる。目を閉じても、流れる涙は止まりそうも無い。
 その日はずっと眠れずに過ごした。ひとりの夜は信じられないくらい長くて、暗いものだった。
 
 
 翌日、すぐにも部屋を飛び出した。早足で医務室へ向かう。
 大通路を進んでいると、白衣を着た大人たちが歩いて行くのが見えた。
 言い争いをしているらしく、お互いに睨み合っている。
 嫌な予感がして、柱の陰に隠れた。
「やっと成功したと思ったのに、とんだ失敗作だ」
「あそこまで成長するのに、どれだけ手がかかったと思ってる」
「そうは言っても、外に出せない生物兵器では役に立たない」
「眼球を移植するのは…」
「永久少年は特殊な細胞のせいで移植は不可能」
「新しいのを造って、処分した方がいいのでは?」
「次に成功するのは、いつになる? ただでさえ永久少年の複製は困難なのに」
「では、あのまま欠陥品を使えと? それこそ無駄でしょう?」
「それでは、やはり…」
 血の気が引くような寒気がした。Ⅸ籠の事を話しているのは察しが付いた。
 あいつら、何を言ってるんだ。ふざけるな。
 込み上げる気持ちを抑えて、医務室まで全力で走った。
 真っ白な部屋のベッドの上で、目に包帯を巻かれたⅨ籠が眠っていた。
 飛び付くように駆け寄って、Ⅸ籠の身体を揺らす。
「Ⅸ籠! Ⅸ籠起きて! 殺されちゃうかもしれないよ! ねえ、起きてよ!」
 いくら声をかけても、Ⅸ籠は起きなかった。
 このままじゃⅨ籠は殺される。
 どうすればいい?
 焦る気持ちが頭の中を支配する。
 Ⅸ籠の腕に刺さっている点滴針を抜いて、Ⅸ籠を背負った。
 医務室を出ようとした所で、見つかってしまった。
 不審な行動をした事を咎められ、左足に枷を付けられて牢屋に詰め込まれた。
 
 狭い牢屋の一室。冷えた床の上で、膝を抱えてじっと座っていた。
 Ⅸ籠の事ばかりが頭に浮かぶ。いくら考えても、最悪の事態にしかならなくて、その度にぎゅっと唇を噛んだ。
 しばらくした後、物音が聞こえて僕は顔を上げた。
 鉄格子の向こう側に、白衣を着た中年の男が姿が見える。
「Ⅸ籠はどうなったの?」
 僕はすぐに声をかけた。
「処置はしたけど、目が覚めないと何とも言えないね。運よく失明じゃなかったとしても、視覚に障害が残る可能性は高いかな」
 感情の色の無い返事が返ってきた。
 そして手に持っている鍵を使って牢屋扉を開けると、ゆっくりと入ってきた。
「Ⅸ籠を…殺すの…?」
 近づいてきた白衣の男に、もう一度問いかけた。
「知力はともかく戦闘能力の伸びは目覚しい…。でも欠陥品と分かってしまってはね…」
 白衣の男は溜め息をする。
「永久少年は複製がとても難しい。正直なところ、ナンバー9の完成は奇跡的だったんじゃないかな」
 腕を組み、ひとり納得するように白衣の男はうんうんと頷く。
「夜間でも支障無く活動できるようにと視細胞を弄ったのがミスになったのかな。視神経のアレが…いや、桿体細胞が悪かったのかも…」
 白衣の男は、長い独り言を続けていたが、僕と目が合うと独り言を止めた。
「心配するな。いずれ新しい弟ができるさ。また仲良くすればいい」
 慰めの言葉のつもりだったんだろうか。
 もう何を言われても、どんな言葉も、耳には入らなかった。
 思いついた。Ⅸ籠を守れるかもしれない方法が。
 もう、この方法しかない。
「ほら、弟が欲しいなら、お前が必要だ。ラボに行こう。次はもっと物覚えの良い賢い弟が出来…」
 白衣の男の言葉が途切れた。
 鈍い音が牢屋に反響する。
 目の前の男を蹴り倒していた。その勢いで、壁に繋がっていた足枷の鎖も切れた。
 脆い。こんなにも簡単に気絶するなんて。非戦闘員なんてこんなものか。
 白衣の男が持っていたカードキーと護身用の拳銃を奪って、急いで牢屋を出た。
 ひとり倒せば、あとは何人でも倒す事に抵抗は無くなっていた。警備兵を倒し包囲網を突破する事に、何の迷いも感情も沸かなかった。
 この身体の血と肉を奪われなければ、クローンは造れない。Ⅸ籠が殺される事も無いはず。
 新しい弟なんていらない。
 どうか、Ⅸ籠が殺されませんように…。
 その事だけを祈り、願いながら。
 この日、僕は組織から逃亡した。
 何よりも大切な弟を守るために、誰よりも大事な弟を置いて。
 そんな矛盾にも似た行動が正しかったのかどうかなんて、分かりようもなかった。
 
 
 
 あれからずっと逃げ回り続けて、たまに追っ手たちを撃退する日々を過ごした。
 追っ手と戦っていた時に、Ⅸ籠がクローン兵たちのボスになったという情報を得た。
 生きていたことが本当に嬉しかったし、失明していなかったことに心から安堵した。
 けれど、僕の知っているⅨ籠とは全然違うことも知ってしまった。
 とても凶暴で残忍で、平気で部下を殺すような恐ろしい生物兵器だ、と。
 
 Ⅸ籠は今、何を思ってるんだろう。
 あの日屋上へ連れ出した事。
 何も言えずに置いて行ってしまった事。
 僕の事を恨んでいるだろうか。
 
 
 
 
 
終わる

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