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  • 日常のこととか、創作や二次創作の絵や妄想を好き勝手に綴っていく日記。
    ゲームや嗜好品の感想も。

  • 竜使いと白いドラゴン5

     爽やかな風が吹く草原の中の道。見渡す限りの草の絨毯。
     程よい涼しさの風を浴びながら、ライエストはサージェイドを連れて拓かれた細い砂利道を進んでいた。
     サージェイドと同種のドラゴンを探すために村を出たものの、明確な手掛かりや当てがあるわけではなかった。
    「お前、どこから来たんだ?」
     今更ながらサージェイドに聞いてみると、サージェイドはクゥと小さく鳴いて首を傾げる。分からないと言っているように思えた。
    「分からないんじゃ、仕方ないよなぁ」
     ライエストはサージェイドの青い鬣を撫でて「お前の仲間、見つかるといいな」と呟く。
    「何かを探すときは誰かから聞いたり、本を読むといいって聞いた。大きな国には人がいっぱいいるからそこで話が聞けるかもしれないし、色々な竜族がいる場所とか探して行けばいいよな。あと、本がいっぱいある国があるんだって」
     幼い頃、長老であるバーシルに訊いた話を思い出す。村からとても遠く遠く離れた場所に世界中の知識を集めたような巨大図書館を保有するパウオレマナワ大国があると教えてくれた。何となくその国を探せばいいんじゃないかと思っていた。
     しばらく一本道を進んでいると、道の遠くから馬車が近づいてくるのが見えた。ライエストは馬車の進行の邪魔にならないようにサージェイドと道の端に寄ると、馬車は速度を落として止まった。
    「ずいぶんと大きな牛だねぇ」
     馬車に乗っている男がサージェイドを見ながら声をかけてきた。
    「牛じゃない」
     ライエストは首を横に振って答える。同時に、ここの地方はドラゴンに馴染みが無いんだなと思った。
     馬車の男はサージェイドのことは特に気にしてなかったようで、今度はライエストをじろじろと見ながら眉をひそめた。
    「まだ子供なのに一人旅かい? ここから一番近い街に着くには、牛の足じゃ明日の朝になってしまうよ」
     馬車の男の話の意味が分からず、ライエストは返事に困った。そもそもサージェイドは牛ではないし、街に着くのが明日の朝になることに何か問題があるのか。
    「この辺りは、夜になると狼の群れが徘徊するからね」
    「ああ、そうなのか」
     話を理解したライエストは納得して頷いた。狼が徘徊しているということは、この付近に草食動物が多くいるはず。それに狼は太ももが美味い。
     食うに困らないことが分かって笑顔になるライエストを見た馬車の男は不思議そうな顔になった。
    「平気かい? よかったら、近くの街まで送っていくよ? 馬の足のほうが速いから夕方までには街に着けるから」
    「うん、平気。教えてくれて、ありがとな」
     ライエストは馬車の男にお礼を言って、再び歩き始めた。そんなライエストの背中を見ながら馬車の男は「大丈夫かなぁ」と呟いて馬に馬車を引かせた。
     
     砂利道を進み続けて街に着いた。夕方になる前に着いたものだから、ライエストは馬車の速度は思っていたよりも遅いんだなと思った。
     狼対策のためなのか、街は2メートルほどの高さの鉄柵に囲まれている。
     街に入ると人の険悪な空気を感じて、ライエストは顔を顰めた。石畳の通りを進んでいくと、数十人もの人だかりが見えてきた。
     女の悲痛な叫び声と男の激怒した罵声。周囲の者たちへ恨み言葉を撒き散らす。
     街の広場で、公開処刑が行われていた。
     がやがやとした喧騒とぴりぴりとした場の空気を肌で感じながら、ライエストは足早に人ごみの中を遠巻きに通り過ぎようとした。ライエスト以外の誰もが、処刑台の罪人たちに向かって非難の声を投げつけている。
     きょりきょろと辺りを見回すサージェイドの首を叩いて小走りするのを促しながら、誰とも目を合わせないように下を向いたまま進む。1秒でも早く、この場から離れたかった。
     時折、人とぶつかりそうになり「こんなところで牛を連れて歩くな」と言われ、サージェイドは牛じゃないと心の中で言い返しつつ、目立たないように静かにしていた。
     処刑の罪状は異種恋愛。人間の男とエルフの女には子供がいたらしかった。子供は少し前に処刑台で命を絶たれ、無残な姿を晒していた。
     無意味に命を奪うことよりも、異質な命を存在させる方がずっとずっと罪が重い。そのことを知らしめるため、こういった公開処刑を行っている地域がしばしばあった。
     秘境の村で幼い頃からそういう話は耳にしていたけれど、実際に村の外で目の当たりにしてしまい、ライエストは平常心ではいられなかった。自分だって混血なのだから。しかも、エルフよりも人の形からほど遠い、ドラゴンとの。
     エルフの女がひときわ大きな声で叫ぶ。その声が掠れて消えていくころ、続くように男の叫び声が上がり、やがて消えていく。
     しんと静まり返る周囲。次の瞬間にはわぁっと人々が騒ぎ出す。悪者をやっつけたような歓喜の声だった。
     ライエストは様々な声を背中で浴びながら、サージェイドを連れて広場から離れて行った。
    「はー。着いて早々、嫌なもの見ちゃったなぁ」
     街の公園らしい場所にある円型の噴水の縁に座って、大きなため息をする。そんなライエストにサージェイドは頬を擦り寄せた。
    「あんなの見ちゃったら、お前だって嫌だよな」
     ライエストがサージェイドの頭を撫でながら優しく声をかけると、サージェイドはクルルと喉を鳴らせて目を細める。
    「…そんなに、悪いことなのかな…」
     違う血が混ざった存在は生きてるだけで罪人扱いされる。理由はわからないけれど、そういう世の中だった。
     公園の噴水は、鳥の翼の生えた人間の姿の彫刻が壺を持っていて、その壺から水が出ている。年代物なのか彫像には緑色の苔が少し生えていたけれど綺麗に手入れされているようだった。
     ライエストはその彫像をじっと見る。魔物とは違う姿。これだって、人間と鳥の間の姿ではないのだろうか。こういうのは美術品として大事に扱うのは何故だろう。
     身を乗り出してまじまじと彫像を見ているライエストの所に、水色のワンピースを着た女が歩み寄って来た。
    「あなた、珍しい服を着ているけど、この街に観光に来たの? その彫像はこの街のシンボルよ。綺麗でしょ」
    「この街は通りかかっただけ。…なぁ、この壺持ったやつ…翼の生えた人間っているのか?」
    「あなた、天使を知らないの?」
    「てんし?」
     聞いたことのない言葉に、ライエストは聞き返した。女はくすっと笑ってにこやかな笑みを浮かべる。
    「天使は神様の遣いなの。ああ、素敵…。とても美しくて清楚で、慈悲深くて。この彫像は500年も昔にとても有名な彫刻家が造った最高傑作なの。その彫刻家はこの天使を領主様に献上した後、姿を消したそうよ。きっと…本物の天使様だったんだわ! この街に降り立った神の御使いなのよ! だから…」
     まるで自分に酔っているかのように恍惚とした表情で虚空を見詰め、両腕で自分を抱きしめながら語りだす。
     正直、何を話しているのか全く分からない。ライエストは徐々熱が入り声が大きくなっていく様子に薄気味悪さを感じて、気付かれないよう静かに離れた。程よく離れたところで振り返ると、女は昂った感情が抑えられなかったのか一人で踊りだしていた。
     ライエストは当ても無く街中を歩きながら、注意深く周囲の人たちを見ていた。この街の道行く人々の誰もが、サージェイドを牛だと思っているようだった。牛っぽい角が生えているけれど、体格が全然違うし、太い尻尾も生えている。小さいけれど翼だって生えているのに、牛に見えるらしい。
     ドラゴンを知らない場所では何の情報も得られないだろうと判断して、すぐにこの街を出ることにした。
     街から出るころには空は朱色になっていて、街を囲む鉄柵の門が閉められる直前だった。
     鉄柵の門番は、こんな時間に街の外に出るライエストを気遣って呼び止めた。狼の群れが出るから危ない、と。
     ライエストは平気だからと軽く言い返して、サージェイドと一緒に閉まりかけている門の隙間から出た。
     賑やかな街中と違って、外は風の音だけがする。少し離れた場所に森が見えたので、そこへ行くことにした。狼の群れ相手に引けを取る気は無いけれど、数十匹もの群れだとしたらさすがに分が悪い。森の中なら木の上で狼の群れをやり過ごせる。
     森に着くなり狼たちの唸り声が聞こえていた。狼たちは鳴き合って連携をとり、獲物を追っているのが分かる。
     薄暗い森の中で狼たちが追っていたのは。
    「…人間か?」
     ライエストは森の奥に目を凝らした。狼たちに追われているのは人間の男だった。
     弱肉強食は世の掟だし、狼の食事の邪魔をするつもりも無い。けれど、人間に人間として認めてもらうには、助けるべきなんだと思った。それに腹も減っている。2~3頭くらいは狼が欲しい。
    「サージェイド、行くぞ」
     ライエストはサージェイドに声をかけて駆け出した。
     獲物を追う狼の群れは十数匹程度で、左右に広く展開して男を囲もうとしている。
     最後尾を走っていた狼がライエストとサージェイドに気付き、声を上げて仲間に知らせる。すると狼の群れは2つに分かれ、分かれた群れは速度を落としてライエストとサージェイドに並走する形をとった。
    「へえ、この群れのボスは賢いかも」
     走りながら弓を構え、ライエストは狼を1頭ずつ見定める。
    「ガウッ!」
     大きな口を開けた狼が飛び掛かってくる狼をライエストが避けると、サージェイドはその狼を口に銜えた。
     ライエストはサージェイドによくやったと目線で伝えて、逃げる男に飛び掛かる狼に矢を射る。矢は狼の後ろ脚を貫いて、狼は悲鳴を上げて草むらに落ちた。走りながら狼を拾い上げて、縄で縛って背中に担ぐ。
     狼たちは互いに鳴き合い始めると、急に進路を変えて森の奥へと消えていった。
     逃げていた男は狼の群れから逃れられたと知ると、ふらふらと減速して倒れるように地面に倒れた。
    「おい、大丈夫か?」
     倒れた男に近づいて声をかけると、細身の男は酷く興奮した様子で立ち上がって敵意が篭った目を向けてきた。
    「クァ!」
     サージェイドがライエストを守るように前に飛び出す。襲い掛かってきた細身の男はサージェイドの首にぴたりと両掌を付けると、そのまま動かなくなった。
    「え、いや、まさか…」
     男は小さく呟くとサージェイドから離れ、自分の足元に生えていた小さな花を無造作に摘み上げる。しおしおと枯れていく花とサージェイドを交互に何度も見ると、信じられないといった表情を浮かべて、その場に膝をついた。
    「どうしたんだ…?」
     訳が分からないまま、ライエストは男に近づく。男の頭から流れている。狼に噛まれた怪我なのは容易に想像できた。怪我の様子が知りたくて手を伸ばすと、男は目を見開いた。
    「私に触っては駄目だ!」
     男は声を大きくし、ライエストは驚いて手を挙げた。
    「…す、すまない。取り乱していたんだ。許してくれ。助けてくれてありがとう」
     男は驚いて後退するライエストを見て、深々と頭を下げる。
     何か事情がありそうだと思ったライエストは、男の話を聞いてみることにした。男が自分の名前をヘンリックと明かして土の上に座ったので、向かい合うように草の上に座る。サージェイドがライエストに身を寄せるように座り、ヘンリックをじろじろと眺め始めた。
     ヘンリックは大きく深呼吸をし、ゆっくりと口を開こうとしたとき、ライエストは思い出したように「ちょっと待って」と言葉を遮った。落ちてる木の枝を集めて火を熾すとサージェイドと自分が捕えた狼を慣れた手つきで捌き始める。
    「腹減ってたんだ。お前も食うか? 狼は太ももが美味いぞ」
    「あ、いや…私は狼はちょっと…」
     ヘンリックはライエストの空気を読まないマイペースぶりに微かに気を悪くしたが、狼の群れから助けてもらった恩があるため苦笑いをして返した。それに狼を食べるなんて信じられなかった。
    「話、してもいいかな…?」
    「あっ、いいよ。聞きたい。焼きながら聞くから」
     ヘンリックが遠慮がちに言ってきたので、ライエストは切り分けた肉を枝に刺しながら相槌を打った。
    「私は…死神に呪いをかけられたんだ」
    「死神様の呪い? そんなことあるのか?」
    「本当なんだ! 嘘ではない。頭がおかしいと思われるかもしれないが、信じてくれ!」
     立ち上がって必死の形相で声を荒げるヘンリックに、ライエストは不思議そうに首を傾げる。
    「死神様は真面目で穏やかな性格だってババさまに教えてもらった。人に呪いをかけるような神様じゃないだろ?」
    「あ…ああ、君は死神を信じている国の出身なのかい? 死神を信じてくれない人が多くて…。よかった、なら話は早そうだ」
     落ち着きを取り戻したヘンリックは座り直して話を続ける。
    「私は、売れない彫刻家だったんだ。だけどチャンスが訪れて、領主様に天使の彫像を依頼された。成功すれば家族がしばらく生活に困らない金が入る。絶対に…完成させなきゃいけなかったんだ」
     ヘンリックは当時の事を思い起こして、組んだ両手に力を入れた。
    「それなのに私は、重い病を患って余命を宣告されてしまった。残された時間では彫像の完成は不可能だった…。絶望したよ。家族は私の身を労わってくれたが、私は家族に顔向けできなかった」
    「それは、辛かったなぁ」
    「そんなある日、死神に会ったんだ。死神が見えるということは死期が近いんだと実感したよ。私は死神に彫像の完成に余裕のある期日まで生き延びたいと頼み込んだ。しつこく言い寄っていたら死神は折れてくれて、死期を伸ばしてくれた。私はアトリエに篭って 必死に掘り続けた。妻と娘は残りの時間を私と共に過ごしたいと言ってくれていたが、私の頭の中にあったのは私が死んだ後も家族が安心して過ごせるように、彫像を完成させることだけだった」
    「ふぅん。それで、ちょーぞうってのは完成したのか?」
    「ああ、もちろんだ。領主様にとてもお喜びいただけた。大絶賛だったよ。私の噂は街中に広がって、今まで世間に見向きもされていなかった彫刻家が一躍有名人だ」
    「へえ、よかったな! でも、どうして死ななかったんだ? 病気が治ったのか?」
    「それが…。世間から賞賛の目を向けられるようになって、次々と仕事の依頼をしたいという人が訪れるようになった。私は…死ぬのが惜しくなってしまったんだ。だから死神と約束した日に、私によく似た別人を死神に会わせたんだ。すぐに気づいた死神は、激怒してしまって…」
    「あー、そりゃあそうだよなぁ…」
     ライエストはそれ以上何も言えなくなった。死神との約束を破ったヘンリックが悪いと思うし、ヘンリックの生き延びたくなった気持ちも分かる。
    「それで死神は、私に死ねなくなる呪いをかけ、私は触ったものの寿命を吸ってしまうようになってしまったんだ」
    「そんな呪いあるのか?」
     ライエストはう~んと唸る。死神が人間に呪いをかけるなんて聞いたことがないし、死なない人間だとか寿命を吸うだなんて信じられなかった。
    「死神は信じてるのに、私の呪いは疑うのか? …じゃあ証拠を見せるよ」
     ヘンリックは近くに生えていた一輪の花を摘むと、ライエストの目の前に差し出す。花はすぐに鮮やかな色を失い、あっという間に枯れ落ちた。
     たった数秒の出来事は、死神の呪いが本物であることを証明するのに十分だった。唖然とするライエストと、枯れた花に鼻を近づけてふんふんと鼻を鳴らすサージェイド。
    「信じてくれたかい? …それで、君が連れている牛に触っても死ななかったから、何か呪いを解くヒントがあるんじゃないかと思って」
    「牛じゃないけど…」
    「頼む! 呪いを解く方法を一緒に探してくれ!」
     ヘンリックは両手を地面につけて、深く頭を下げる。ライエストは気まずくなって唇を噛んだ。
    「俺、呪いとか全然わかんないし…。死神様に謝るのがいいんじゃないか?」
    「どこを探しても死神に会えないんだ。街を離れて死神を探していたんだが、どこを探してもいない。死期がなくなったせいで、見えなくなってしまったんだと思う。君は見慣れない格好をしているが、魔法使いか呪術師なのか? 魔法でも何でもいい、解呪してくれ!」
    「そんなこと言われても…。魔力使うのはダメだし」
     申し訳無い気持ちになりながら、ライエストは言葉を返した。魔法の類いが全く使えないわけではないが、竜の血を帯びた魔力は人間が使う魔法と相性が悪く、村では使用禁止にされている。
    「この呪いのせいで、私は愛しい娘を抱きしめて死なせてしまった。老いることも出来なくなってしまった体で、世間に気づかれないように家に籠るしかなかった。老いていく家族たちと死に別れ、私は人目を忍んで街を離れ…」
    「あ、キノコ生えてる!」
     ライエストは木の根元に生えているキノコに気付いて、それを採った。このキノコは笠のぶつぶつした部分が美味い。
    「聞いてるかい!?」
     ヘンリックはキノコに木の枝を刺して焼き始めるライエストに向けて大声を出した。
    「うん。聞いてるぞ」
     焼き上がった狼の肉をサージェイドにやりながら、ライエストは悪びれる様子もなく答える。
    「私は、もう…この体から解放されたい。湖に入ったら息が出来ずに苦しいだけで死ねなかった。火に飛び込んで体中が焼けただれても死ねなかった。崖から飛び降りたら体は潰れたが、それでも死ねなかった。体が元に戻るまで何ケ月も激痛を味わったんだ! もう十分、罰を受けたんじゃないかと思う。君もそう思うだろう!?」
     鬼気迫るように話すのに気圧されて、ライエストはやや身を引く。話の内容が想像を超えていて、夢物語なんじゃないかと思ってしまう。死なない人間なんて、本当にいるのだろうか。
    「それに…私が魔物だという変な噂が広がったらしくて、数日前からどこからか討伐隊が来るようになった。矢で射抜かれ剣で斬られて酷い目に遭った。何とかして逃げ出せたが、また来るかもしれない。もう、痛い思いはしたくない。こんな生き地獄、終わりにし……って、いい食べっぷりだなぁ!!」
     ヘンリックは皮肉を込めて声を荒げる。うんうんと頷きながら話を聞いているライエストは盛大に肉を食べていた。
    「食える時に食っておかないとな。明日も必ず獲物が手に入るとは限らないし」
     皮肉が通じなかったライエストは、真面目に言葉を返した。
     ヘンリックは込み上げる何を抑えて咳払いをする。
    「私は呪いを解いて元に戻りたいとずっと願っている。今はそれだけが望みなんだ。他人の寿命を吸って死なない体なんて、なりたくなかった」
    「クァ!」
     突然、今までずっと静かに話を聞いていたサージェイドが鳴いて、身を起こした。
    「どうしたんだ?」
     ライエストがサージェイドを見上げると、サージェイドは普段は小さい翼を大きく広げていた。白い骨組みだけのような翼には、まるで星々の輝く夜空のような飛膜が見える。
     その時、ヘンリックが慌てて立ち上がりサージェイドと対峙した。
    「ああ、そうだ。そうしてくれ!」
     サージェイドに向かって、ヘンリックは声を弾ませ期待に満ちた目になる。
    「数百年の時間が帳消しになるのなら、それでいい」
    「え?」
     ヘンリックとサージェイドの様子をライエストは訝しむ。ヘンリックだけが話しているように聞こえるけれど、サージェイドと会話をしているかのようだった。
    「この不死の呪いを、代わりに」
     ヘンリックは目に涙を浮かべていた。
     空気が張り詰める。周囲がざわつくような感覚。
     サージェイドの周りにぽつりぽつりと光の粒が現れ、薄暗い森の中を明るく照らす。
    「クォォォン!」
     サージェイドが天に向かって大きく鳴いた。
     それと同時に、光の粒は一点に集まり一筋の光となって天へと昇って行った。
    「君たち会えて本当に良かった。君の牛のお陰で私は、やっと」
     ヘンリックは見る見るうちに年老いていき、髪が抜け落ちて痩せ細っていく。それはまるで、本来の寿命を超えて生き過ぎていた時間を急激に戻しているようだった。
     ライエストは変わりゆく様に恐怖を感じて、目を逸らす。きしきしと骨の軋む音、草の上に何かが落ちていく音。
    「ありがとう…」
     しわがれた声が小さく聞こえた。
     恐る恐る視線を戻すと、ヘンリックが居た場所には、服と砂のようなものが小さな山となって残っていた。不思議な出来事に思考が追い付かず、呆然と砂の山を眺める。
    「お前…死神様の呪いを解いたのか?」
     声をかけると、サージェイドはいつもの無邪気な様子で「クァ」と鳴いた。
    「……」
     ライエストは暫く黙り込んだ。
     そして、にっと笑うとサージェイドに抱き着く。
    「すごいな! 死神様の呪いを解くなんて!」
     サージェイドは嬉しそうにクルルと喉を鳴らす。
    「そっか。お前、魔法が使えるドラゴンなんだな!」
     ライエストは、またひとつサージェイドのことを知れてよかったと思った。それに魔法が使えるドラゴンは種類がとても希少だった。竜種の特定がしやすくなる。これでサージェイドの仲間を探すために一歩近づけた気がする。
    「よし! 明日、別の街に行こう! …あ」
     ライエストはヘンリックだった砂の山を見て、気付いた。
     街の噴水になっていた500年前の天使の彫像を思い出す。
    「きっとヘンリックが作ったんだ…」
     街に帰れなくなって、ずっとこの森で暮らしていたのかもしれない。
     ライエストはヘンリックの砂を丁寧に袋に詰めた。
     翌日に街に戻り、噴水の池にそっとヘンリックを流す。
    「家族のために作ったやつ、この街で大切にされてるみたいだぞ。よかったな」
     水の中でキラキラと光る砂を見ながら、ライエストは呟いた。
     
     
     
     
     
    つづく


    竜使いと白いドラゴン4

    「緑は森、赤は命、青は水、黄は太陽…」
     ライエストはそれぞれの石輪の極彩色を言いながら、赤い一つ目が描かれた黒い布につける。
    「黒はゼーブルグ様の色。ゼーブルグ様は神竜で、俺たちの祖先なんだ。本当かどうかは分からないけど。でも、きっとお前のことも守ってくれる」
     黒い布をサージェイドの首に巻く。真っ白な肌と対照的な黒色はとても映えて見えた。ライエストは当然とばかりに満足げに頷く。
    「どうだ? チララに織ってもらったんだ。チララは村一番の機織り師で、美人だけど犬が大嫌いで…」
     ライエストの話を聞きながら、サージェイドは首に巻かれた布に鼻を近づけてふんふんと鼻を鳴らす。身を起こして立ち上がると、大きく振った尾が木の壁を掠めた。
    「あー」
     ライエストは唸るように低い声を出す。
    「俺の家、狭いからなぁ。お前の仲間を見つけて、お前がドラゴンだってババさまに認めさせたら、もっと大きい家を作るからな!」
     最初は水龍を相棒にするつもりだったから、村を出る前に家の樹の下に池を作ろうと少し掘っていた。きっともう必要ない。後で埋めておかないと、誰かが落ちるかもしれない。
     …その誰かが、まさか自分だとは思ってなかった。
    「はぁ…」
     自分の足元に広がる空を眺めながら、ライエストは半眼で溜め息をする。重力に押され気味の血が頭に集まる。
     サージェイドに村を案内しようと家を出て、下りる階段の途中で飛び降りた。降りた先が悪かった。
    「クァ、クァ」
     サージェイドがそわそわと落ち着かない動きで穴の上から顔を覗かせている。
    「大丈夫。全ッ然平気!」
     痛いけど、怪我はしてない。体だけは頑丈にできている自信はある。少し土を食ったくらいで死にはしない。
    「何してんだ?」
     通りかかった村人に声をかけられて、ライエストは引きつった笑顔で手を振った。
    「大地の反対側から空を踏む感覚を知ろうとしてた」
     苦し紛れに出た言い訳に、村人は首を傾げる。「あまり無茶するなよ」と言い残して去っていった。
     誰も見ていない隙に穴から這い出て、空を仰ぎながら大きく伸びをする。やっぱり空は頭の上に限る。
    「いい罠になる穴だったってこと、身をもって知った! 罠作りの才能あるな俺」
     服に付いた土を払って苦笑い。すぐに気を取り直して、サージェイドに村を案内することにした。
    「あれは、ババさまの家。ここに来てすぐに行った家だな。長老たちとエルオゥが住んでるんだ。エルオゥはヒュドラで、村の外のこといっぱい知ってる」
     村で一番大きな家を指さす、そのまま指の方向をずらして木組みの見張り台へ向ける。
    「あれは見張り台。見張りは交代でやってる。たま~にだけど、魔物が村を襲いに来るんだ。…んで、あっちにある水車小屋はセイラばあちゃんがパンを焼いてる。サージェイドはパンって知ってるか? 食える?」
     サージェイドに訊くと、サージェイドはこくこくと頷いた。その様子を見てライエストは水車小屋に向かった。
    「セイラばあちゃん、いるか?」
     扉を開けて中を覗き込む。開かれた扉の奥からは、香ばしい匂いと水車で回る歯車の音がゴトゴトとする。
    「おや、ライエストかい。よく来たね」
     背の曲がったセイラが優しい声と共に迎えてくれた。この家の主で、水車で小麦を挽いてパンを作っている。焼きたてのパンはとても美味しい。
    「前にくれたイノシシの肉、とても美味しかったよ。ありがとう。すっかり狩りが上手になったようだねぇ」
    「へへ。俺、弓使い上手くなったんだ」
    「うんうん。りっぱなドラゴンも連れて、すっかり一人前になって…」
     セイラはライエストの隣にいるサージェイドの鼻先を撫でて、愛しむように目を細めた。
    「さっきパンが焼けたばかりだから、好きなだけお食べ」
     セイラにパンをもらってお礼を言い、水車小屋をあとにする。サージェイドはセイラのパンを気に入ってくれて、とても美味しそうに食べていた。
     その後も村のあちこちを見て回り、いつの間にか双子の太陽は低い位置に移動していた。
     そろそろ家に戻ろうとしたところで、ライエストはふと足を止めた。目線の先には、自分が小さいころからよく遊んでいた友人であるガーライルの家。
     ライエストは村に戻ってから一度もガーライルの姿を見ていなかったことを思い出し、サージェイドと一緒にその家を訪れた。けれど家に居たのはガーライルの両親だけだった。
     ガーライルの母親はライエストを見ると目に涙を浮かべ、嗚咽を漏らしながら部屋の奥へと姿を隠し、父親は涙を堪えて話を始めた。その話の内容は、とても悲しいものだった。
     ライエストが村を出て数日くらい過ぎたころ、ガーライルは”竜返り”を発症したらしい。身を焼くような高熱にうなされながら、日に日に体は竜の鱗に包まれ、角が生えて爪が伸び、歯は抜け落ちて牙に生え変わった。幻聴と幻覚にうなされ、苦しさのあまり何度も「殺してほしい」と叫んでいた、と。両親も村の者たちも何もできず、ただただ祈りながら見守るしかできなかった、と。
     “竜返り”は原因不明の病で、患う者の年齢も時期も不特定、何の前触れもなく突然に発症する。血筋ゆえの病気のため外部の者に助けを求めることもできない。治す薬草も見つからない不治の病であり、その症状を和らげる方法すら無い。発症すると死ぬまで苦しみ続けるしかなかった。
     ライエストが埋葬場に行ってもいいか訊くと、ガーライルの父親は礼を言って頭を下げた。
     村から少し離れた森の奥、多種多様の花が咲き乱れる場所。その中央に、大きな平たい石が置いてある。ライエストの村では死者をこの石の上に寝かせて、自然に還すのが習わしだった。森からたくさんの獲物をもらい、死ねばその身を森の生き物たちに捧げるという命の循環になっている。
    「レネ ニッカ ラースヤ」
     平石の前で手を組み、弔いの言葉を送る。一緒に育った友人の顔が思い浮かんで、ぎゅっと唇を噛んだ。
     平石のすぐ近くには大きな角が落ちていた。その大きさから“竜返り”で急激に体が変化したことが伺える。急激な体の変化は、全身を潰されるような激痛だと聞いたことがある。
     ライエストは身震いをした。村の誰もがこの病を恐れているけれど、恐怖と悲しみを深めないように黙っているのが暗黙の了解になっていた。でも、いつか自分も“竜返り”になってしまうかもしれない。そんな思いが心の奥にずっと染み付いている。
    「クゥ…」
     ライエストの心境を察したのか、サージェイドが頭を擦り寄せる。
    「ごめん。もう、村に戻ろう」
     極力元気を装って笑顔を返した。
     
     
     
     翌日になって、ライエストは忙しなく家の中を動き回っていた。
    「本当に、行くのかい?」
     思い詰めた表情で、ルルカはライエストを見ていた。引き止めたい想いでいっぱいだった。
    「うん」
     旅支度をしながら短く返事をする。ルルカを視界の端で見ただけで顔を合わせられなかったのは、ルルカの気持ちも分からなくはなかったから。浴びる視線は痛いくらいで。
     サージェイドのことについてバーシルと話したことを全てルルカに話したら、ルルカはすぐに険しい表情に変えて、今に至る。
    「この子がドラゴンじゃないなら、何なのさ…」
     ルルカがサージェイドを見る目は、複雑な気持ちを帯びていた。見返すサージェイドの目は、まっすぐにルルカを見据える。
    「だからそれを知りたいんだ。新種のドラゴンかもしれないし」
     ライエストは纏め終えた荷物を背負うと、サージェイドの白く長い首を擦った。
    「村を出る以外の方法で、調べることはできないの? 村の外は何があるか分からないから…危ないよ…」
     ルルカは目を伏せて溜め息をした。目の前にライエストが立ち、真剣な眼差しを見せる。
    「俺、一度村の外を見てきたからな。それに、知らないことは、知ればいいんだ」
     意志が固いことを告げられて、ルルカは引き留める言葉を失った。
    「みんなには言わないで。俺、見送りされるの嫌だ」
    「…本当に、アンタは自由勝手だね。絶対に…絶対に帰ってきなよ?」
    「うん。約束する」
     そう言い残して、ライエストは白いドラゴンと共に家を出て行った。
     ルルカはぎゅっと目を閉じる。閉められた扉の音が、いやに耳に残った。
    「知らないものに恐怖を感じないんだね。アタシは…怖いよ…」
     胸の前で手を組んで祈る。ライエストが兄と同じく戻らぬ人にならないように。必ず村に帰ってくるように。
     甥のいなくなった家はとても静かで広くて、少し寒気がした。
     
     
     
     
     
    つづく


    竜使いと白いドラゴン3

     巨木の枝の上に建てられた家で、鮮やかな羽飾りを頭に着けた少女は洗濯物を干していた。
     ふと遠くへ目を遣り、あるものを発見するとその目は大きく見開かれる。
    「ライエスト!? みんな、ライエストが帰ってきたよ!」
     少女は、村人たちに知らせるために大きな声で叫んだ。その知らせを聞いた村人たちはどよめき、村全体が騒がしくなり始めた。
     
     村に着くなり大勢の村人たちに囲まれて、ライエストとサージェイドは身動きが取れないくらいになっていた。
    「よく無事に戻って来たなぁ。怪我とかしなかったか?」
    「心配してたんだよ。ちっちゃいころからムチャばっかりして」
    「まさか、本当にドラゴンを連れてくるなんて、やるじゃねえか」
    「おとなしそうなドラゴンだね。人見知りはしないのかい? 名前は? 好物は?」
     ライエストは次々に声をかけられ、返事をする間も無いせいで何度も頷くことしかできなかった。懐かしい顔ぶれに、自然と笑みが零れる。隣りにいるサージェイドは村人たちの顔を見回しながら目をぱちぱちとさせていた。
    「ライエスト、ババさまが…呼んでる…」
     深刻な面持ちで、友人のジェシェムが声をかけてきた。
     この場のサージェイド以外の全員が青ざめた表情に変わり、しんと静まり返る。
    「クゥ?」
     急な空気の変わり様に、サージェイドだけが状況を理解できずに首を傾げた。
    「サージェイド」
     ライエストは強張った表情で震え声を出し、両手でサージェイドの頬を包むように触れた。無理矢理に笑顔を作って、サージェイドを真っ直ぐに見据える。
    「俺は今から、怖~い人に会ってくる。ここで待っててくれ…。だいじょう…ぶ。怖くない、怖く…ない…」
     言葉の後半は、殆ど自分に言い聞かせているようなものだった。ライエストは重い足取りで歩き、村の中央にある大きな家へ向かう。過去にも何度かこの長老の家に入り、その度に苦い思いをしてきた。この場所にいい思い出なんて無い。
     垂れ布で仕切られた奥にある大広間に足を踏み入れると、十数人の長老たちが横一列に並んで座っていた。どの長老も口を一文字に閉じている。血の気が引く思いをしながら、長老たちの前に正座をした。
     窓の外には、野次馬と化した村人たちとドラゴンたちが顔を覗かせ、固唾を飲んで見守っている。その中にサージェイドの姿もあり、窓から首を入れて大広間の中を興味津々に見渡していた。
     少し間をおいて、並ぶ長老たちの真ん中に座っている老女が鬼のような形相で目を見開いた。
    「こりゃ!! ライエスト!!」
     村全体に響く一喝。それはまるで嵐の落雷で、ライエストは浮き上がるほどびくりと体を揺らした。
    「勝手に村を出おって! みながどれ程心配したか、分かっておるのかぁ!!」
     間髪入れずに続く二撃目に、ライエストの体は小さくなって硬直する。
    「バーシルよ、そんなにカッカするでない。無事に戻ってきたのだから…」
    「黙りゃせ!!」
     端に座っている2本の角を生やした長老が諫めたが、大長老であるバーシルの怒りは治まらなかった。怒鳴りつけられた角の長老はしずしずと頭を下げる。
     ライエストは勇気を出して、引き攣る口をゆっくりと開いた。
    「俺は、村を出て水龍を探しに行くって、言った…」
    「誰も許可しておらぬわッ!!」
    「ひっ。…ご、ごめん…なさ…い…」
     慌てて頭を床すれすれに下げる。せめての言い訳もあっさりと一蹴され、完全に退路を断たれてしまった。
     すると、サージェイドが注意を引くかのように「ガァ」と一声上げ、自身の体よりも小さい窓からするりと入って来た。ライエストを守るように身を寄せ、長老たちを見つめる。
     長老たちは老いて小さくなった目をそれぞれに大きくし、ひそひそと声を漏らし始めた。
    「見たことがない。誰のドラゴンじゃ?」
    「どうやって入ってきた?」
    「輝くように白い…奇妙な気配…」
     狼狽える長老たちの中、バーシルだけは冷静な眼差しをサージェイドに向けていた。
    「サージェイド、あっちに行ってろ。お前も怒鳴られるぞ」
     ライエストは小声でサージェイドに言い聞かせる。しかしサージェイドは動こうとしなかった。
    「ふむ…」
     バーシルは溜め息をして背後にある巨石のようなものに話かけた後、ライエストに向き直る。
    「そやつに免じて許すとしよう。…解散!」
     バーシルの言葉で、張り詰めていた空気が解放された。長老たちは立ち上がって大広間を出ていき、窓の外の野次馬たちもそれぞれの持ち場へ戻って行った。
     ライエストは緊張の糸が切れて、ぐったりとその場に倒れる。
    「おーい。ライエスト、生きてるかぁ?」
     友人たちが部屋に駆け入り、からかいながらライエストの顔を覗き込んでくる。
    「こ…、こわ、かっ…た…」
     掠れ声で返事をすると、友人たちは腹を抱えて大笑いしたり、同情する表情で頷いたりと、各々の反応を見せた。
    「ライエストのドラゴンすげーな! ババさまに立ち向かおうとするなんてよ」
     ジェシェムが興奮した様子でライエストとサージェイドを交互に見る。
    「僕のジェラツじゃあ、怖がって逃げちゃうよ」
     と、ゼルハが抱き上げている小型のワイバーンの頭を撫でながら言った。
     ライエストは友人たちに囲まれながらサージェイドと共に長老の家を出ると、改めてサージェイドを紹介した。
    「でもさぁ。生白いし、硬い鱗もないトカゲ肌じゃ、弱そうだなー。こんなドラゴンでいいのかよ? 強いドラゴンを相棒にするって言ってたじゃん」
     ラッカルはサージェイドの首を撫でる。撫でられたサージェイドはぶるぶると身震いをした。
    「え…」
     ラッカルが目を丸くする。ふにふにとした柔らかい手触りが硬いものに変わっていた。見れば、つるつるとしたトカゲ肌は白銀の短剣のように大きく硬い鱗がびっしりと生えた身体になっていた。
    「なんだこのドラゴン…」
     ラッカルは恐る恐るサージェイドから離れた。サージェイドは得意げな表情でラッカルを見ていた。
    「急に大きな鱗が生えた? こんなドラゴン、見たことも聞いたことも無いですね。全長は6メートルくらいの中型ドラゴンタイプ。色は白、青い鬣…」
     ゼルハがくいと眼鏡を上げて分厚い竜の本のページを捲りながら、サージェイドの竜種を調べ始める。
    「何だか不思議だけど、見た感じはおとなしそうだし、話も理解してるなら危険性は無いんじゃない?」
    「珍しい種族なのかもな。群れでいたのか?」
    「いや、それが…」
     ライエストは湖にいた白い水龍が変化してこのドラゴンになったことを話した。
    「水龍なの?」
    「別の竜種に変化するなんて有りえねーよ。お前の見間違いだろ」
    「で、でも、さっきの鱗のこともあるし、変身できるドラゴンなのかもしれないよ?」
     友人たちが話し合うのを眺めながら、ライエストは口を噤んだ。サージェイドが水龍たちから避けられていたことは言えなかった。
     
     村の者たちが去り、大広間は静寂が戻っていた。
     大広間の奥で、バーシルは殆ど見えていない目を上へと向ける。
    「エルオゥよ」
     名を呼ぶと、バーシルの背後にある巨石のようなドラゴンが5本の首をもたげた。今は亡き夫を守ってくれていたヒュドラで、村のドラゴンたちの指導役を担ってくれている。
     エルオゥは、バーシルを囲むように大きな頭を寄せる。
    「ライエストが連れてきたドラゴン、どう思う?」
    「グルル…」
    「やはり、そうか…」
     バーシルは予想していたことが当たっていたことに、表情を曇らせた。
    「では、あれは…何であるか。もしや“白の破壊”と“星喰らう化け物”のどちらかか?」
     再び問いかけるも、エルオゥからの返事は無かった。それは、永い時を生きてきた叡智の存在にも知り得ないことを意味していた。
    「ううむ…」
     憂う表情で、バーシルは呻いた。
     
     時は夕刻を迎え、ライエストは旅の出来事などを話していた友人たちと別れの挨拶をした。
     薄暗くなった村のあちらこちらに篝火が灯り、村は朱色の景色になる。
    「サージェイド、疲れただろ。俺の家はこっちだ」
     ライエストは大きな樹の上に建てられた家を指さすと、樹の幹を周るように設置された階段を駆け上る。サージェイドは骨格だけの翼を広げて飛び上がり、ライエストの家の前に着地した。
     久しぶりの我が家の扉を開けると、そこには仁王立ちした女性が立ちはだかっていた。
    「こ・ン・の…馬鹿ライエストぉ!」
     赤く長いクセ毛を揺らして怒りの表情を露わにする。ライエストの父親の妹で、名前はルルカ。ライエストは生まれる前から父親はいなかったし、母親は物心つく前に死んでしまっていた。ルルカは母のように世話を焼いてくれて、姉のように仲良く暮らしていた存在だった。
    「あー…」
     ライエストはばつが悪い顔をして肩を竦める。
    「まぁいい。アタシが怒りたいことは、ババさまが言ってくれたからね」
     と、ルルカは表情を和らげて、ライエストを抱きしめた。
    「…おかえり。無事に戻ってきてよかった…」
    「ただいま。…ごめん、ルルカ姉…」
     ライエストは抱きしめるルルカに身を任せて目を閉じた。抱きしめられる腕の強さが、どれほど心配させてしまっていたかを感じさせた。
     家に入るとルルカはライエストに茶を用意し、サージェイドにはドラゴンが好む草を煎じた茶を木のバケツに入れて用意した。サージェイドは不思議そうに茶を見ていたが、飲み始めると気に入ったようで、全部飲んでくれた。
    「あはは、いい飲みっぷりだね」
     ルルカは上機嫌でサージェイドに近づき、その姿を眺める。
    「アタシはルルカだよ。今日からよろしくね。ここら辺じゃあ見ない竜種だね。名前は?」
    「サージェイドだよ。そいつが自分で言ってた」
    「自分で? この子、喋るのかい?」
     ルルカはライエストとサージェイドを交互に見遣る。
    「うーん、多分?」
     言い切れずに、ライエストは首を傾げた。
    「何だいそれ。アンタが連れてきたんだから、しっかりしなさいよ」
     ルルカは呆れて溜め息をする。
    「ま、今日の所はとやかく言わないよ。疲れてるでしょう? ゆっくりお休み」
    「ん…」
     ルルカの優しい気遣いと声がくすぐったくて、ライエストは気の無い返事をした。
     
     
     
     カツカツと、扉を叩く音でライエストは目を覚ました。
     隣で丸くなって寝ているサージェイドを起こさないように起き上がり、まだ眠ろうとする目を擦りながら扉を開ける。
    「ギャア」
     体長3メートルほどの小型のワイバーンが扉の前で羽ばたいていた。後足で掴んでいた木の札をライエストに渡すと、ワイバーンは飛び去って行った。
     木の札には【話がある すぐに来たれ  バーシル】と書かれていた。
     半開きだった目が全開になり、ぼやけていた思考が覚醒する。
    「えっ、また!? …こ、今度は何だよぅ…」
     朝から憂鬱な気持ちになりながら、渋々と長老の家に向かう。大広間にはバーシルの姿があった。他の長老が居ないことを不思議に思いながら、ライエストはバーシルの前に座った。
     ライエストが座ったのを確認すると、バーシルは重い雰囲気で口を開いた。
    「ライエストよ、手短に言おう。お前が連れて来たものは、ドラゴンではない」
    「え…」
     思いがけない言葉に、ライエストは眉をひそめた。
    「存在が何であるか分からぬ以上、村にどう禍福をもたらすかも分からぬ。共に生きるわけには…」
    「そんなことない! サージェイドは水龍たちと一緒に暮らしてた」
    「水龍には見えぬが」
    「それは…、水龍から姿が変わったからで…。ドラゴンじゃないって言うなら、なんだっていうんだよ!」
    「それは、わしにも分からぬ」
    「じゃあ村の誰も知らないドラゴンなんだよ。俺がサージェイドの仲間を見つける。村の外はすっごく広いんだ。きっとどこかにいる! 絶対に見つけて、サージェイドがドラゴンだって証明する!」
     ライエストは強い気持ちを込めて、バーシルに伝えた。竜使いとして一人前になるためじゃなくて、あんなに人懐こくて優しいドラゴンをまたひとりにさせてしまうなんてできなかった。
     バーシルはライエストがまた勝手に村を出てしまいそうな勢いに、深く溜め息をする。
    「真実を得ることが、必ずしも己の為になるとは限らぬ」
    「そんなの分かってる!」
     互いに譲らず、確固たる意志を込めた視線が交わり、沈黙の時間が流れる。
     先に口を割ったのはバーシルだった。
    「…まったく。お前は本当に、一度決めたら聞かん子じゃ。昔のアルフォドに似ておる」
    「父さん、に…?」
     バーシルの話にライエストは首を傾げた。父親の名前しか知らないし、誰かから教えてもらうことも無くて、知る機会なんて無かった。
    「アルフォドはドラゴンと共に村を出て戻って来なかった。わしは、お前も戻らないのではないかと案じておった。じゃが…、お前はきっと違うのかもしれん」
    「それじゃあ…」
    「うむ。どうしてもと望むのなら、お前が信じた道を進みなさい」
    「ありがとう、ババさま。俺、必ず村に戻ってくるから!」
     ライエストは表情を明るくして、バーシルに言った。バーシルはやれやれといった様子で、溜め息をする。
    「では、最後に大事な話をしよう」
     改まってライエストを見据え、バーシルはゆっくりと話を始めた。
    「我らとて、外の世界と相容れたい気持ちはある。だが、過去に何度歩み寄ろうとも、決して認めてはくれなかった。アルフォドは、我ら竜に近しい血族と人間が互いに理解し、共に生きられる方法を探すと言って村を出た。…じゃが、戻ってこなかったということは、許されなかったのだろう」
     目を伏せて、悲し気に語るバーシル。そんな大長老の姿は初めて見るもので、ライエストはバーシルから目を逸らした。
    「ライエストよ。よく肝に銘じておけ。我が一族の祖先は竜族との混血じゃ。人目から離れて暮らしてきたのも、世俗から呪われた者とされたが故。世代を重ねて竜の血は薄れ、ほとんど人間と変わらぬ姿だが、未だ稀に尾や角が生えた赤子が生まれる。お前もその ひとりじゃ。生まれてすぐに尾は切り落とせるが、角は折れぬ。決して村の外の者に見られぬよう用心するんじゃ」
     言い聞かされて、ライエストは無意識に自分の頭に触れた。髪に埋もれて殆ど見えないが、後ろに向かって2本の小さな角が生えている。
    「ゆめゆめ忘れるな、我らは呪われた身。“竜返り”にも注意せねばならん。体に異変が起きたら、すぐに村に戻るんじゃぞ」
     深刻な表情で言うバーシルの声はとても低く、その話はとても重いもので。
    「世界はまだ…我ら血族を許してはいない」
     ライエストの心に深く刺さるように残った。
     
     
     
     
     
    つづく


    竜使いと白いドラゴン2

     温かい。心地よい気分に浸りながら、ライエストは寝返りを打った。ふわふわとした手触りが気持ちよくて、無意識にぽんぽんと叩く。
    「…はっ!」
     息を呑み込んで飛び起きる。視界いっぱいに広がる真っ白で柔らかい毛に包まれていた。自分の身の状況が分からないまま獣毛をかき分けて上半身を起こすと、真っ白な獣毛に覆われたドラゴンの胴体と尻尾に挟まれていた。
     白いドラゴンは、青空のような鬣を揺らしてこちらへ振り向く。赤い瞳と目が合った。
    「えっと…」
     ライエストは口を半開きにして固まった。全く身に覚えのない出来事に混乱する。呆けていると白いドラゴンは気が済んだように立ち上がり、湖の方へ向かって行った。
     ライエストは慌てて白いドラゴンの後を追う。白いドラゴンは湖の岸に着くと、見る見るその姿を白い水龍に変える。獣毛は短くなって鱗に変わり、胴体は大蛇のように長く伸びて湖に落ちていった。
    「待ってくれ!」
     岸の縁に両手を着いて湖を見下ろす。2メートルほど下の湖面で、白い水龍が不思議そうな表情で見上げていた。
    「その…、俺を助けてくれたんだよな? ありがとう」
     人語が通じるか分からなかったけれど、お礼を述べた。すると、白い水龍は湖面に尻尾を出して左右に揺らし、「クァ」と短く鳴いた。
     話が通じたかもしれない安心感を得たライエストは、それに代わるように不可解な疑問が沸いた。この白い水龍は、湖で溺れた自分を助けてくれたのは間違いない。けれど、先ほどまで毛の生えたドラゴンの姿だった。勝手な予想だけれど、水で冷えた体を温めてくれていたんだと思う。でも、別の竜種に姿が変わる竜族なんて、聞いたことがない。
    「お前、水龍なのか? それとも…」
     言いかけて、言葉を濁した。この白い水龍が突然変異か奇形種、あるいは混血種だとしたら、同族から避けられているのも納得できる。呪われた生き物だからだ。
     ライエストは意を決して、真剣な眼差しを白い水龍へ向けた。
     もしこの水龍が呪われた生き物なら、孤立して長くは生きられない。
    「俺は、ライエスト・トゥルパだ。西の地に住んでる。なぁ、俺の村に来ないか? お前のこと、ひとりにしておけない」
     白い水龍は目を離さずに話を聞いてくれていた。
    「今のままじゃ、寂しいだろ? 俺の村にはいろんなドラゴンがいて、仲良く暮らしてるんだ。…ああ、でも、時々はケンカする。こんな大きな湖は無いけど、村の近くに滝と川があって、魚がいっぱいいるから食うに困らないぞ。肉がいいなら、森に猪や熊がいる。魔物もいるけど…」
    「クァ」
     白い水龍は返事をするように鳴くと、するすると湖面から体を伸ばし、水龍にあるはずのない羽翼を生やして飛び上がる。岸に着地すると同時に、大蛇のように長かった姿が、体躯のしっかりしたドラゴンに変わった。
     信じられないけれど、やはり姿が変わる。それを目の当たりにしたライエストは微かな悪寒に似た畏怖を感じて、じっと白いドラゴンを凝視した。
     そんなライエストの微量な心境の変化そ察したのか、白いドラゴンは頭を下げ見上げてくる。
     不安気な眼差しを向けられて、ライエストは我に返った。きっとこのドラゴンは他の竜族から奇異の目で見られて生きてきたはず。不安なのはこのドラゴンの方だ。そんな気持ちにさせないために、村に連れていくんじゃないか。
    「名前。そうだ、名前」
     気を取り直して、白いドラゴンに笑いかける。名前が無ければ呼ぶときに不便だと思い、どんな名前がいいのか頭を捻った。
     一方、白いドラゴンは、腕を組んで思考を巡らせるライエストの周りをうろうろと歩き、外套の端を銜えて引いたり鼻先で背中をつついたりと、様子を伺っていた。
     ライエストは我ながら良い名前を思いついたと自信あり気な表情で後ろにいる白いドラゴンに振り向く。
     その時、一瞬だけとても眩しい閃光が目に入る。白いドラゴンの姿が、別の”何か”に見えた気がした。空気が凍り付いて固まったような長い一瞬の後、白いドラゴンがじっとこちらを見据えていた。
     頭の中を掠める、聞いたことのない言葉と、見たことのない文字。
    「サージェイド…?」
     その言葉と文字の意味を考えるより先に、その名を呟いていた。白いドラゴンは笑うように目を細めてクルルと喉を鳴く。
    「そうか。お前、サージェイドっていうのか」
     ライエストは不思議な出来事に小さく震える手をゆっくり伸ばして、白いドラゴンの頬を撫でた。
    「いい名前だな! 俺が違う名前付けなくてよかった」
     うんうんと頷き、サージェイドという名を覚えるように頭の中で唱える。昔、村で竜使いになった者がドラゴンに名を付けたとき、その名をドラゴンが気に入らなくて仲が険悪になったことがあったのを思い出す。
     俄かには信じがたい現象に手の震えはまだ続いていたけれど、竜族の中には特殊な能力をもったものもいると村の長老から聞いたことがある。このサージェイドと名を教えてくれたドラゴンが、まさにそれなのだろうと確信した。
    「あれ…?」
     ライエストはサージェイドの翼を見て首を傾げた。湖から飛び上がってきたときには羽毛が綺麗に生え揃った翼だったのに、その羽毛は無く、それどころかコウモリの骨格だけのような翼で飛膜すら付いていなかった。
     けれど、水龍に羽翼という異様な姿よりは違和感が無く、この翼こそが本当の翼なんだと何の気なしに感じられた。
    「それじゃ、サージェイド。俺の村に…」
     歩き始めようとして、ライエストは足を止めた。水龍を狩りに来た男たちが引いてきた荷車が目に映る。
     もしかしたら、あの男たちがまた水龍を狩りに来るかもしれないし、別の連中が水龍の噂を聞いてこの湖に来るかもしれない。ここはもう安全な場所ではなくなっている。
     ライエストは両手の拳に力を入れて大きく息を吸った。
    「おーい!! ここは危ないぞ! もっと西に逃げろ!」
     力の限り水龍たちに向かって大声を上げる。しかし、いくら声を張り上げてみても水龍たちはこちらを警戒するだけで、湖から離れようとしなかった。
    「ここにいたら、また怖い人間が来るかもしれないんだぞ! ほら!」
     ライエストは足元にあった小石を拾って、水龍たちの近くに向かって投げた。小石はぽちゃと頼りない水音を立てて湖の底へ消える。
     その様子を見て、サージェイドは地面を見回し、近くにあった小石を見つけて、前肢で湖に払い落とした。ぼちょんと音がすると、それが気に入ったらしく、また小石を探して湖に落とし始める。
    「俺は遊んでるんじゃない。真似しなくていいってば」
     サージェイドはぴょこぴょこと軽快に跳ねながらライエストから離れた。完全に遊んでいると思っている。
    「お前の友達が危ないかもしれないんだ、遊んでる場合じゃ…」
     話が終わる前にサージェイドは後ろに回り込み、ライエストの股の間に頭を突っ込むとそのまま首を上げた。
    「なっ、えっ!」
     サージェイドの首の上を滑って、背中に乗る形になる。サージェイドは笑うように目を細めると翼を広げて飛び立った。いきなりの行動に目を丸くしていると、サージェイドはゆっくりと飛行し、湖の水龍の群れに近づいた。
     水龍たちは近づいて来たサージェイドに警戒し、やや後退しながら口を開けて威嚇し始めた。
    「ガァアアア!!」
     サージェイドが大きく咆哮する。水龍たちは慌てふためき、ばしゃばしゃと水面を荒らすように逃げ惑う。
    「お、おい、急にどうしたんだよ」
     ライエストは、サージェイドが水龍たちに牙をむいているのを知って戸惑った。噛みつかんばかりに勢いで大きく口を開け、低く大きな声で唸っている。逃げる水龍たちを水面すれすれに飛んで追い回し始めた。さっきまで無邪気な姿からはとても想像できないことだった。
     あまりの変わり様にライエストは焦り、サージェイドを止めようと首を叩いて注意を引こうとするも、全く効果は無かった。
     やがて、1体の水龍が恐怖に耐えられなくなって、前肢の大きなヒレを羽ばたかせて湖から飛び上がった。それを見た他の水龍たちも続けざまに飛び上がり、雨のように水滴を落としながら西の方角へと飛び去って行く。サージェイドは去り行く水龍たちを追うことはせず、空で静かに見送っていた。
     水龍たちが西の方へ飛び去って行く姿を呆然と見ていたライエストに、サージェイドは首だけ振り返ってじっと見つめた。その顔は「これでいいんだろう?」と言っているように見えた。
    「お前、まさか…」
     ライエストは、サージェイドの行動が水龍たちを心配する自分に対しての行動だったことを知り、そっとサージェイドの首に抱き着いた。
    「ありがとな」
     礼を言うと、サージェイドはクルルと鳴く。その優し気な鳴き声を聞いて、ライエストは目を細めた。
     頬を撫でるようにそよぐ風。いつも地上で浴びる風とは違う風が、空には吹いていた。
     
     
     
     
     
    つづく


    竜使いと白いドラゴン

     澄み渡る青い空には雲ひとつなく、暖かな光を注ぐ2つの太陽が互いの距離を置いて浮かんでいる。
     少年は宿部屋の窓から顔を出して大きく息を吸う。やわらかな風がどこからか花の香りを運んできた。
     今日はいい天気だ。雨も降りそうにない。
     気を引き締めるように拳を握り、窓から顔を引っ込めた。頭に布帯を巻いて外套で身を包むと、急いで荷物をまとめて部屋を出る。
     木製のドアを開けて階段を降りる・・・ところで足を滑らせた。
     ぐるぐると回る世界。鈍い音を響かせて、一階まで転げ落ちる。
    「いってぇ…」
     痛みに呻き声をあげながらゆっくり目を開くと、目の前には宿屋の娘が口元を手で押さえて驚きの表情を浮かべている。
    「あの…。お客様さま、大丈夫ですか…?」
     声をかけられ、少年はハッとして立ち上がると、慌てて荷物を背負い直した。
    「足音うるさくて、お騒がせしました!」
    「はぁ…」
     宿屋の娘は不思議そうに首を傾げたが、すぐににこやかな笑みを見せた。
    「元気な子ですね」
    「は、ははは…」
     少年は苦笑いを返しつつ、強打してじんじんと痛む尻を手で押さえながら、宿屋の娘の前を通り過ぎた。咄嗟に嘘をついてしまったが、今はそれを悔いる気もない。廊下の角を曲がって宿屋の娘から見えていないことを確認すると尻を擦りながら歩く。
     はあ、と。溜め息をひとつ。自分のそそっかしさに毎度呆れながら、一方で諦めている。
     宿のエントランスに出ると、筋肉隆々の強面男が小さなカウンターで番をしていた。ここの主だが、何をどうしたら先ほどの美人な娘が生まれてくるのか理解に苦しむ。完全に母親の面影しかない。
     宿の主に代金を払い、少年は宿屋を後にする。
    「お気をつけていってらっしゃいませ。良い旅を」
     見送りに来てくれた宿屋の娘に、軽く手を振って挨拶を返した。
     
     “竜使い”。
     それは少年…ライエストにとって必ず到達しなければいけないものだった。
     ライエストの村では、竜使いになれば一人前の男として認められる。13の歳から相棒となるドラゴンを探すことを許され、幼い頃から一緒に育ってきた周りの友人たちの何人かは2年の間ですでに小型ながらもドラゴンを相方にしていた。
     悔し紛れに「俺はもっと強いドラゴンを相棒にするんだ!」と宣言してしまい、村を出て今に至る。
     長老たちは「よそのドラゴンは気性が荒いのもいる。やめとけ」と呆れ顔で警告してきたが、それを振り切って来たのだ。絶対に強いドラゴンを見つけなければならない。
     そしてその目星を付けて、村から遠く離れたこの地にやって来た。
     一晩過ごした宿があるこの町は田舎の小さい町と話に聞いていたけれど、ライエストにとっては大きな町だった。なんだか自分の村がいかに辺境の地にあるのかを思い知らされている気分になる。
     ライエストは町を出て北側にある森に向かった。この森の湖には、ドラゴンの一種である水龍の群れが来ていると噂を聞いた。龍の種族は非常に賢く、聡明な者にしか心を開かないと言われている。自分は決して聡明とは言えないが、何もしないで最初から諦める気もない。気の合う水龍がいるかもしれない。
     思っていたほど木は多くなく、森の中は木漏れ日のお陰で明るかった。森を抜けて開けた場所に出ると、そこには大きな湖。小さな川しかない村に住んでいたライエストにとって、感動するものだった。何日分の飲み水になるかなあと、無意味な考えが浮かぶ。
     大きな湖の中央付近で、太陽の光をきらきらと反射させて水面を泳ぎ回る水龍の姿が数体見えた。体長は15メートルくらいだろうか。
    「おーい!」
     ライエストは湖の岸から落ちそうなくらい身を乗り出して大声を上げた。水龍たちはこちらの声に気づいてくれたようで、長い首を一斉に向けた。
     しかし、すぐに水龍たちは各々の方向に泳ぎ始める。それ以降は全く無視だった。
    「やっぱり、そうだよなー」
     ライエストは大きな溜め息と共に、がくりと頭を垂れた。
     ドラゴンから信頼を得るのは難しい。ただ声をかけるだけで仲良くなれたら苦労はしない。人語を理解できるドラゴンは希少だし、人間に無関心なのもいる。
     背負っていた荷物を降ろし、その場に座った。ここに何日か滞在して様子を見るつもりだった。
     膝の上で頬杖をついて、ぼんやりと湖を眺める。水龍たちは思い思いに水面を漂っていた。前肢の大きなヒレを羽ばたかせて水上を飛ぶものもいる。
    「キレイだな…」
     初めて見る水龍たちの青い鱗の輝きに見惚れ、無意識に感嘆を漏らす。本で見た水龍よりも、ずっとずっと綺麗だった。
     対岸の方に目を凝らすと、色の違う水龍が1体泳いでいた。色素が抜けてしまったのか、真っ白な水龍だった。その白い水龍が他の水龍たちに近づこうとすると、他の水龍たちは避けるように離れていく。
    「突然変異か奇形種かな。泳ぎ方も変だし」
     白い水龍を目で追っていると、泳ぎ方も他の水龍とは少し違っていた。くねくねと体を動かさずにまっすぐ泳いでいる。どこから推進力を得ているのか謎だった。
    「そこの少年、旅の者か?」
    「うえっ!?」
     突然声をかけられて、ライエストはひっくり返りそうになりながら声がした方を見上げる。白黒混じりの長い髭を蓄えた老人が立っていた。老人は目を丸くしているライエストを見て、ほっほっほと笑い声を出す。
    「ここの湖は危険じゃぞ。水龍がおるからな。魚釣りが目的なら、あちらに川がある」
     そう言って老人は森の奥を指差す。
    「釣りじゃない」
     ライエストは立ち上がって首を振った。
    「ふむ? 見たところ、お主はリスティア地方の者か?」
    「リスティアよりもっと西の、サクディンテ…から…」
    「サクディンテ? まさか…。おぉ、おぉ。昔聞いたことがあるぞ。ドラゴンたちと暮らしている貴重な民族がいるという土地じゃな。本当にいたとは…。こんな遠くまでよく来たのう。サクディンテのドラゴンは穏やかで友好的だそうじゃないか」
     老人はうんうんと頷きながら言った後、表情を曇らせる。
    「ここの水龍に会いに来たのか? ここにいるのは群れからはぐれた奴らの集まりじゃ。人間たちに襲われて逃げてきた奴もおる。心を開いてはくれんよ」
    「人間に襲われた…?」
    「知らないのも無理ないかの。東の地方では水龍の鱗は高価な装飾品になるんじゃよ」
    「え…」
     思いがけない話に、ライエストは言葉を失った。
    「そういうわけじゃ。ここの水龍たちは諦めたほうがよいぞ。人間を嫌っておる。以前、ここを通りかかった町の者も襲われたことがあるんじゃ」
    「そう…なのか…」
     ライエストは肩を落とした。でもそれはここまで来て諦めてしまうことではなくて、あんなに美しい水龍が装飾品のために狩られていることに対してだった。
     老人が去ったあとも、ライエストは湖から離れられずに、水龍たちを眺めていた。たまたま近くまで泳いできた水龍に笑顔で手を振ってみる。水龍はライエストと目が合うと急に方向を変えて、何度か振り返りながら離れていった。怯えと怒りを秘めた目だった。それを知ったライエストは振っていた手を力なく下ろした。
     双子の太陽の片方は地平線の下へ姿を隠し、もう片方も沈み始めて、辺りは薄暗い世界に色を変える。
     ライエストは水際から離れ、森に落ちている木の枝を集めて焚火にする。荷物から毛布を取り出して横になり、溜め息をするのと同時に目を瞑る。明日になったら北に向かってみようと考えた。特にあてがあるわけではないけれど。
     まどろむ意識の中、昼間に見た水龍たちの鱗が太陽の光を反射させて煌めく光景を思い浮かべる。ここの水龍たちは静かに暮らせるといいなと祈った。
     
     
     ガラガラとした地響き。散らばっていた意識が急速に集まって、ライエストは目を覚ました。焚火はとっくに消えていて寒さに身震いをする。
     何の音で起こされたのかと辺りを見回すと、湖畔に3人の男が立っていた。4メートルほどの荷車を引いていて、その上には荷車よりも長さのある大きな槍が設置されている。地響きは荷車の動く音だとすぐに分かった。
     男たちは荷車を湖に寄せると、乗っている大きな槍の刃先を湖にの向けた。話し合いながら、刃先の角度を少しずつ調整している。刃先が向けられた先には水龍の姿があった。
     その意味を知った瞬間、ライエストは駆けだしていた。
    「やめろ!」
    「何だァ?」
     男たちがライエストに気づいて機嫌の悪い顔をする。
    「お前ら! 水龍を狩りに来たな!?」
     ライエストが声を張り上げると、男たちは怒りの形相に変えた。
    「変な恰好のガキだな! どこから湧いてきやがった!」
    「昨日からここにいた」
     答えながら、自分が寝ていた場所を指さす。
    「んなのどうでもいいんだよ!」
     男が口をへの字に曲げて睨みつけてくる。そっちが訊いてきたくせに、とライエストは心の中で反論した。
    「おい、ガキを捕まえろ! ふん縛って湖に沈めちまえ!」
    「奴隷商人があれくらいの歳のが欲しいって言ってたから、売るのがいいなー」
    「どっちでもいい! 早く捕まえろ!」
     リーダーらしき男が、2人の男に顎で指示をする。細身の男と腹の出た小太り男が剣を抜き、じりじりと距離を詰めてくる。
    「痛い目見たくなかったら、おとなしく捕まりな」
    「悪いようにはしないからねー」
     男たちが手の届きそうなところまで近づいて来たのを見計らって、ライエストは森の中へ走った。
    「待ちやがれ!」
     男たちは逃げる子供の背中を追って走り出す。しかし右へ左へと木を避けて蛇行する背中はどんどん遠ざかっていき、5分足らずで見失ってしまった。
    「くそ…、どこ行きやがった」
     男たちの走る速度が落ち、様子を伺う歩みになる。細身の男が顔を顰めて辺りを見回すと、少し進んだ先の大きな木の陰に追っていた子供が身に着けていた薄緑色の外套を見つけた。
    「あそこだ」
     小太り男に小さく耳打ちして、2人は足音を立てないように近づく。勢いよく外套を掴んで引っ張ると子供の姿は無く、外套が低木に掛けられていただけだった。
     2人の男が呆気に取られていると、木の上から空を切ってライエストが飛び降りてきた。
     その姿を見上げる間もなく、2人の男は後頭部に衝撃を受け、その場に倒れる。
    「魔物の餌になる前に目が覚めるよう、森の精霊に祈れよ」
     ライエストは太い木の枝を捨てて自分の外套を掴むと、湖に向かって走った。
     
    「よしよし、いい位置で止まったな」
     水龍を狩りに来た男は仲間2人に子供を任せて、発射台の上で湖の水龍に狙いを定めていた。仲間の2人が戻る前にさっさと水龍に槍を撃ち込んでおきたかった。何せ水龍を引っ張り上げるほうが時間がかかる。日が暮れる前には戻らなければいけない。
    「やめろって言ってるだろ!」
     前方に集中している男の背中に向かって、ライエストは走りの勢いに乗って蹴った。
    「うがっ!」
     男は発射台の柱に頭をぶつけて倒れたが、すぐに立ち上がってライエストを睨み付けた。
    「くそガキが…」
    「水龍に悪さしてると、毎晩寝小便垂れるぞ。自分の寝小便で溺れて死ぬぞ」
    「はぁ?」
     ライエストの唐突な話に、男が呆気にとられる。
    「悪くないドラゴンたちに酷いことすると、竜神さまが怒るんだからな!」
    「なんだその迷信。くだらねぇ」
     苦虫を噛み潰すような顔をして、男は荷台に乗せていた柄の長い斧を手に取った。
    「ナメてんじゃねぇぞコラ!」
     斧を振り回しながら男が襲い掛かってくる。叩きつけるように下ろされる斧を躱して、ライエストは後方をちらりと見遣った。
     あと11歩。
     頭の中で距離を測り、男が振り回す斧を動きに合わせて避けながら後退する。ちょうど11歩目の所で、背中から倒れた。
    「がはは! 終わりだな! くたばれ!」
     チャンスとばかりに、男が斧を大きく振り上げる。
     でもこれがライエストの狙いだった。この場所は自分が焚火をした場所。置きっぱなしになっていた荷物から素早く弓矢を出し、男に向かって構えると同時に矢を放った。矢は狙い通りに男の手の甲に刺さり、男の手から斧が落ちる。
    「ちくしょう…」
     男は手の甲を押さえて蹲った。苦悶の表情を浮かべ、完全に戦意喪失しているようだった。
    「お前の仲間は森で気絶してる。連れて帰れ!」
    「チッ」
     男は覚えてろと月並みの捨て台詞を残して、森の方へ走って行った。
     男が森の中へ消えて暫くした後、ライエストは「あー」と声を出しながら深く安堵の息を吐いた。もし男たちに捕まっていたら殺されていたかもしれない。そう思うと生きた心地がしなかった。村で狩りや魔物退治をしながら育ったけど、人間と戦うなんてしたことがなかった。
     静かになった湖のほとりには、この場に似合わない槍の発射台が乗った荷車が残っていた。
    そのままにしておいては危ないだろうと思い、男たちが引いてきた荷車を湖から離そうと引っ張る。
    「何だよこれ、重い…」
     しかし、大人3人がかりで引いていた荷車が子供ひとりの力で動くはずもなく、一向に動く気配がない。
     仕方なく荷車を離すのを諦めて、湖に向けられている大きな槍を発射台から下ろすことにした。槍に跨るようにしてよじ登り、上の方にある弓形に掛かった金具を外そうと手を伸ばす。
    「わっ」
     滑らせた片足に何かが当たり、ガチと音がした。その瞬間、槍はライエストを乗せて飛び立った。急な風圧に耐えられずライエストは槍から手を滑らせて湖に落ち、槍はライエストの重さで失速して水龍の群れよりもずっと手前で落ちる。
     山育ちだったライエストは泳げなかった。竜使いになるために水龍を探していたのは、水辺で困らないためでもあった。
     じたばたと動かす手足に反して、体は徐々に沈んでいく。水が口に入り大きく咳き込んだ。水龍たちは遠巻きに様子を見ている。
    「クォォン!」
     不意に透き通るような鳴き声が聞こえた。真っ白な水龍が猛スピードで近づいてくる。
     顔が水面に沈みかけて目を閉じる瞬間、白い水龍が水面から飛び上がり、輝くような純白の羽毛に包まれた翼を広げた。
     水龍に羽翼…?
     有りえない光景を最後に、ライエストは意識を失った。
     
     
     
     
     
    つづく


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